堆肥センターがやってくる |
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吾が山荘のお隣の富士里牧場に堆肥センターが建設される。 (2003,01,15, 作成) 山荘のすぐ隣にに牧場があり、時々牛さんの声が聞こえ、田舎の香水がほのかに臭う静かな土地。のどかだなあとぼんやりしていたら、突然この牧場敷地内に1日40トンの牛糞を処理する堆肥センターを建設しますと信濃町農林課農務畜産係が声をあげました。 堆肥センターとは各酪農家の牛舎からから毎日出る牛糞を集め、大きな堆肥槽に入れて自動機械でかき混ぜ醗酵させ堆肥を作る工場のことです。牛は1日におよそ糞を50Kg、尿は15Kg、BOD換算で100人分の糞尿をするそうで、おいしい牛乳を出すには沢山食べて、沢山出すのですね。もっとも繊維質の餌さですので牛糞は、堆肥にすればいい有機肥料になるのでしょう。 この一帯は酪農事業が盛んで乳牛が1000頭ほど飼育されており、今のところ多くの牛糞尿は野積みして放置、自然のまま堆肥にし、それを畑に戻していたようです。野積みにされている牛糞は雨に打たれ汁となってにじみ出し、雪融け時には川となって流れ出し付近を汚し河川を汚していました。日本の多くの酪農家は牛糞処理を自然に任せていたようです。 そこで平成11年7月28日に「家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律」が官報告示され、糞尿は産業廃棄物とみなされ、現在の野積みが禁止され平成16年10月末までにはこの法律の求める管理基準を達成しなければならなくなったそうです。信濃町の酪農家達も色々と考えている内に、決断が遅れ期日が来年(平成15年)という切羽詰った状況になってしまいました。 堆肥センターは補助事業として国からの補助がうけられるとのこと、この基準の最適地が、この町営富士里牧場しかないと言うことになってしまいました。工場の広さは1ヘクタール、牧場は十分に広いので、なにもこんな近くに作ることは無いのに。ところが、人家から少し離れた場所は埋蔵文化財遺跡指定で建設はできないと、なんと、木々に覆われているとはいえ吾が山荘の玄関前180mの位置に決めましたと、驚きましたね。よく言うよ。 |
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野積みがなくなり、川が汚れなくなり、牛糞が有機肥料として使用され有機農業が盛んになれば循環型農業として、まさしく産業廃棄物がリサイクルされ、確かにすばらしいことです。 堆肥化工場は堆肥化処理時に発生する悪臭の処理方式はピンからキリまであり、酪農事業は当然費用を出来るだけ低く押さえなければなりませんので、脱臭装置などはなく、発生した悪臭は空中に拡散させ薄める方法ということになります。つまり出来るだけ人家から離さなければ建設できません。なのになぜか信濃町の衆は平気で無神経にも、山荘の玄関先、わずか180mの位置に建設しようと言ってきたのです。 そこで数えるほどしかいない別荘族と、この地を訪れてくれる人々と団結して「富士里牧場周辺の大自然を守る会」なる団体を立ち上げ信濃町に要望書を提出交渉しました。なんとか本計画を見直し、当初計画した埋蔵文化財遺跡指定区域付近での、人家から少しでも離れた場所に建設してもらうようお願いし、今のところ信濃町も理解を示し、遺跡の発掘調査をし我々の要望を取り入れてくれるような状況になりました。この位置になれば400m程離れます。ほんとうにそうなって欲しいのですが、さてどうなるでしょうか。 今後の報告をごらんください。 |
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(2003,05,20,) 埋蔵文化財がはたして出てくるかどうか、試掘調査が始まった。 発掘調査は牧場内の建設予定地の100m四方を分割して、丁寧に牧草を剥ぎ地面を少しずつ削って遺物があるかどうか調査する作業、この手の考古学愛好者、熟練者が黙々と仕事を進めていた。目ぼしい物が何一つ出ないため、つまらなそうにしていた。 写真の四角い穴はもう4万年前の地面だそうで、もし縄文時代の遺物があれば黒土と赤土の境目あたりで発掘されるそうだ。 |
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牧場の雪はすっかり消えたが、まだ雪がまぶしい黒姫山、大山桜が満開。 おそらく何もでないだろう。 |
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2003年4月下旬、多かった雪が融け、埋蔵 遺跡の試掘調査が始まりました。 試掘は1m*1.5mの地面を写真のようにていねいに手で掘り、土器や住居跡があるかどうか探ります。黒土と赤土の境で一万年前の地層だそうで、六千年前の遺跡はこの赤土の上下で発見されるそうです。 赤土は一万年前黒姫火山の火山灰が積もって出来た層だそうです。牧草をはがし、わずか30Cmぐらい掘れば赤土が現れ、さらに掘りつづけると赤土より硬いざらざらしたものがまざった火山礫の層が出るとのこと四万年前の地層になるそうです。この時期が、ナウマンゾウがいたころになるそうです。100m*120mの予定地に60数ヶ所を試掘、なにも埋蔵文化財は一欠けらも出てきませんでした。 これで安心して少し離れた牧場奥に堆肥センターが建設されることになりました。 ちょうど今は春、雪に埋もれていた野積みの牛糞が現れ、今まで以上に臭いが目立ち、本当に来年からは野積みがなくなるかどうかは、信じられません。畑にすき込むために置いておく分には法律に触れないらしく、今後の行政の指導力にかかってくるでしょう。 もし、我々が立ち上がらなければ、そのままのどかな牧場脇の道沿いに、味気ない堆肥工場が建ち、すばらしい景観が崩され、吾が山荘生活に苦悩を強いられることになったでしょう。 |
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右の写真は山荘から100m先の牧場沿いの林道から写したもので、当初の計画では写真の黒姫山下に見える牧草地に工場が建設される予定でした。 我々の運動の結果、堆肥センターは、写真右手奥の北斜面の牧場に建設され、ここからは以前からある牛舎の裏側に当たる為、隠れて見えないでしょう。なんとか工場が400mほど離れるので、臭気は拡散され、臭気問題は起こりにくいと期待されます。 |
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富士里牧場周辺の大自然を守る会の運動経過
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2004年2月27日(広報しなの No.239より転載) |
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信濃町は、いや、恐らくどこの行政も、住民達のことをほんとうに考えて事を進めるているのだろうか。自分達の思いだけで仕事をしているのではないだろうか。日本の住人のほとんどが知らない場所に税金が数億円も投入されるにしては、安易に事を進めているのではないか。かなりの対価を払って自然を求めた地(別荘地としての税金を徴収している)に、常駐していないからといって、隣接して堆肥センターという産業廃棄物処理工場を建てようと決定しかけた態度は、嫌がらせか、いや暴力としか考えられない。ただ、田中知事が選ばれ、長野県の新しい流れが我々の運動を後押ししてくれたと思う。 お上の言うことには逆らえないと地元の人は黙って賛成したようだが、もっとも自分達の目の前に作るわけではないので、反対はする必要は無いし、どうせ別荘族などは金持ちのやることだから知らん、文句をいうな、というような高飛車的な発言が今でも耳に残っている。信濃町が見なおし要望を取りいれて検討してくれたお陰だと思いたくはないが、紳士的にお疲れさまと言っておこう。大汗をかきエネルギーを費やし少し牛糞処理について知ったが、ともあれ、いい経験だった。 とにかく埋蔵文化財がないことがはっきりし、すっきりして堆肥センターが建設されることになり安堵の気持ちで一杯だ。もしそうでなかったら、争わなければならず考えただけでもぞっとする。 これからは、堆肥センターでつくられた堆肥が有機肥料として十分に活用され、循環型農業をいかに発展させるかが大きな課題となる。美しい信濃町になることを願ってやまない。 建設完成後正しい堆肥工場の運用に対して目を向けて行かなければならない。
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(2005,12,01, 記述)
春を迎え放牧を待つ牧場。 もし堆肥センターが当初の計画通り建設されていたなら、この場所に大きな構造物が建ち、この景色はつぶされて、何のためにこんな所を手に入れたのか思い悩むところだったが、お互いの努力で、なんとか妥協でき、写真では中央左の青と白の建物の工場が奥まった所に建設され目立たず、ほんとうに良かった、助かった。 |
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