7月30日硫黄島緊急搬送、8月1日無事帰国


7月29日船長から急病人搬送のため硫黄島に向かい急病人を搬送しますとの放送。翌日、早朝無事搬送完了。船は常に非常事態の備えて最短距離での急病人搬送を考えているそうで、今回はグアムにするか硫黄島にするか検討、硫黄島に依頼、海上自衛隊のヘリがOcean Dream号の後甲板右舷の狭いスペースに張られたHマークをめがけてヘリが接近、風向きを考え、船とヘリはタイミングを合わせ、5m四方の狭いデッキに隊員2名が降下、患者をつり上げ無事搬送。患者は硫黄島に収容、無事飛行機で本土移送されたとか。ほんとうにありがとうございました。

船は緊急事態に備えて常に万全の方策が取れるようにネットワークが張られているとのこと、安心できる一つだ。ヘリのHマークは、デッキに着陸は無理、R(Rescue)マークで上空ホバリングが正解でしょうか。

船は予定には無かった硫黄島の海上自衛隊の緊急搬送に敬意を表し、先の戦争の慰霊を兼ねて周回してくれた。船長の配慮に感謝。この島の激戦、日本軍の玉砕を思うに、単なる観光で通り過ぎるには余りにも不謹慎だが、船上の中には「格好いいねーすり鉢の山」なんての声が聞こえ驚いた。たまたま朝食時同席したPBのディレクターに慰霊祭はしないのですかと、問い掛けてみたが反応は無かった。やはり戦争は遠くなってしまった。

期せずして、中国残留孤児?で僧侶のXX氏が読経し闘った人々に対して慰霊し、我々が今在ることに感謝し、合掌してくださった。合掌。


船は順調に台風にも遭わず、太平洋を真北にまっしぐら、油を流したような、鏡のような海に出会う。こんな海は初めてだ。この時、水切る波の合間に、波が収まった一瞬、水中に白っぽい翼が、船のピッチングを緩和するスタビライザーを見ることができ感動した。

三か月もの旅が終わろうとして、長かったのか、あっという間だったのか、異次元世界から現世界に戻りつつあるこの気分は何とも言えない。なかなか整理がつかない。複雑。ここで言葉にできない私の表現力の無さ、すみません。

晴れている。今回の寄港地は全て晴れ、雨知らず。とにかく幸運に恵まれ、早朝、東京湾に入るとデッキは騒めきたち、今までの出会いに別れを告げる人々にあふれる。

ベイブリッジをくぐり、大さん橋にたどり着くが、横浜の町は迫りくるような高層ビルの大都会ではなく、穏やかな落ち着いた町に見えるのが不思議だ。接岸と同時に乗組員、PB関係者、GETの先生方など全員集合で乗客の荷物降ろしで大運動会の様。時々荷物がコンベアーから転げ落ちたりして大忙しだ。

入国順は10階から下へ、7階だったので9時過ぎには帰国、荷物もすぐに見つかり待合室でのんびりすることができた。一歩外に出ると、今までの寄港地で一番暑い港だった。迎えの車が遅れたので、続々と帰国した船での知り合いに、お礼とお別れの言葉を交わした。

今回は体調を壊し体重が落ちたが無事帰国、騒がしかった船内から、やっと静な環境に戻れると思うとほっとした。揺れた船になじんだ体は揺れない地面に足を踏ん張っているにも関わらず揺れ、この暑さで益々頭も揺れ続けている。

平和を求め動く本来のピースボートが、道を外さないように応援し見守っていきたい。