フィジー第二の都市ラウトカ(Lautoka)


7月10日(水)、日付変更線を通過、西経から東経へ、11日が無くなった。夕食時、レストランでその日、誕生日を迎えた人に”ハピーバースデー”の歌が流れ、皆さんで祝福するが、11日の人は誕生日なし。一歳若返る。

12日(金)となり、翌13日(土)午前7時フィジー諸島共和国のラウトカの港に接岸した。ビチ・レブ島の山手から日が昇り、雲が赤く染まり、雄大で美しい朝を迎えた。

ラウトカは首都スバに次ぐ二番目の都市、と言っても人口5万弱、港のそばに精糖工場、チップ集積場があり、輸出港でピースボートは久しぶりに工場地帯の貨物港に入港した。

さすがサンゴ礁の島らしく港の近くにマングローブの小島から、賑やかな小鳥の声が騒がしく聞こえ、自然に満ち溢れているが、海水は残念ながら茶色く濁り気味、山が掘り起こされていると思われる。遠くの山がはげ山のように見える。

8時50分、環境保全のため飲料水以外の持ち込みは禁止され、違反者には罰金が科せられるとの船内放送を聞き、飴も持たずに出発。中心街まで徒歩20分程度。

埠頭には土産物店のテントが2張り、寂しく迎えてくれた。利用したことが無いが、ツアー募集のインフォメーションに大勢群がっていた。我々は只々歩くのみ。南半球は冬だと言うが日差しが強く暑く汗が噴き出し、Nは木からしずくが垂れてきたと自分の汗に気が付かず叫ぶ。行き交う人に「ブラ、、ブラ、、」と声を掛け合う、挨拶だ。

茶色のうずたかい山を良く見ると、木材チップだ。これも輸出品の一つで、その隣にはサトウキビを満載したトラックが集まっている。

左側通行だ。フィジーは1874年イギリス領となり、インドから大量の労働者が入植、サトウキビ農園を開発、1970年独立。政変があったが今は落ち着いている。インド人が多く、インドの文化が根付いている。イギリスの植民地であれば大抵左側通行で、イギリスを真似た日本と同じだ。沖縄は米軍統治時代は右側通行だった。同じ感覚だ。

広い敷地に大きな工場があり、煙突からは黒い煙を吐き、土曜日でも稼働している。ここにはトロッコの線路が引き込まれており、収穫最盛期にはトロッコが頻繁に通るらしいが、線路がどこにあるやら、人が散歩しているし、木陰では寝そべっている人もいて、今は使われていないのかなと思った。トロッコは町中心部を縦断している。

昼食を取っていた時、ショッピングモールの2階から、ふと窓を覗くと、大通りに沿って、サトウキビを満載した長いトロッコがゆっくりと道路沿いを通過して行く、慌ててシャッターを切る。すごく長い列だ、300mはありそうだ。


バスターミナルの隣に広く大きな市場がある。野菜果物、ほとんど馴染の野菜が小分けされ置かれている。葉物、間引きした小さなダイコン、小さなタマネギ、薄紫のナス、ゴーヤ、太ったオクラ、トマト、キャベツ、ショウガ、、小さなリンゴ、オレンジ、マンゴー、ヤシ、パパイヤ、スターフルーツ、バナナ、パイナップル、、、少ないが魚介類や、インドの宗教で使われる物など、日用品などなど、有り過ぎて判らない。

見た所、木の根っこの様な物と、土のような茶色の粉が売られている。思い切って聞いてみると、英語圏なので数%は理解できる。「これはなあ、儀式に使うカバを作る根だ。これを粉にして、水に溶いて、、、こちらにおいで」と店の脇に呼ばれ、赤いプラスチックの洗面器から犬の餌鉢のような器で土のような泥のような水溶液をすくって、黒い木製の盃のようなものに入れ、飲んで見せてくれた。これが話に聞いた儀式に使う飲料カバということが分かった。勧められたので、腰が引けたが覚悟、二人は少し舐めただけ、胃の弱いKも少し舐め、お茶を濁そうとしたが店主がもう一杯と勧め、恐る恐る観念して飲み干す。味は良く分からないが苦みがあるようだ。記念写真を撮って、お礼を言って、別れる。どうなることか心配だ。

スリルある市場見学を終え、スポーツ公園に足を運ぶ。ラグビーやサッカーやバスケットなどが出来る広い広場で、凸凹はあるものの皆、大人も子供もスポーツ興じていた。可愛い子供たちのサッカーではボールを追い回して一人前にハンド!!なんて言って、ちゃんとフリーキックをするなどほほえましくなった。フジーでは子供が多いらしく、教育がしっかりできれば、英語圏だけに、これから発展する国になるかもしれない。日本から語学留学生を受け入れているという。

話は前後するがこの後、ショッピングモールに入りフリーWIFIに繋ぎ、LINEを受けながら昼食を取っていた時にトロッコ列車に遭遇、楽しい思いができた。

換金したお金がまだ余っていたので、土産物探しにもう一度繁華街をうろつくが見当たらない。こちらのサトウキビ菓子が欲しかったが見つからなかった。

スーパーマーケットが4,5軒固まっており、マーケットの多さに驚いた。店内で馴染の船員に出くわし、私服なので一瞬判らず、顔を見合わせてやっと気が付き、挨拶、皆さん日用品などを買っていた。結局、港の土産物テントで買い物を済ませた。

海岸べりに出て海を見たが茶色い海だが、流れ込むドブは比較的澄んで見え、小魚が勢いよく泳いでいた。道路はガタガタして歩き難く、多少ゴミがあるが奇麗で、公園の草は刈りこまれ整備されている。

乗用車は日本車が多く、プリウスが多く目立つ。タクシーは日本の中古タクシーも有り、社名は消してある。道路両脇は駐車車両であふれている。

感心するのは横断歩道でダラダラと渡る歩行者に、徐々に進んで脅しをかけるようなドライバーは居らず、根気よく空くのを待っている。偉い。

公園がフリーWIFIゾーンになっていて、多くの人にインターネットが楽しめるようになっていた。若者がスマホとアンプで音楽ではしゃいでいた。

国それぞれ、どのような国にするか読み取れないが、フィジーは頑張っている感じがした。

翌日全員無事。胃腸障害なし。メデタシめでたし。カバの馬鹿話でした。