イースター島 自由行動


イースター島は1722年ヨーロッパ人が初めて上陸、その日がイースター(復活祭)であったことにちなんで命名したことから、そう呼ばれるが、島民はRapa Nui ラパヌイと呼ぶ。この絶海の孤島に先住民ポリネシア人がどのよにしてやって来たのか、巨大なモアイ像がどうしてあるのか、どうやって運んだのか、なぞの多い島で興味がそそられる。

イースター島の遺跡は前回ツアーで見学したので、今回は近場を散策しようと考えていた。停泊した船から見ると岸にモアイ像が見えているので、その近くまで歩くことにした。多分大ざっぱに見て片道3Km、どんな町か楽しみだ。国立公園の入場料80米ドルは無駄になるが、観光で成り立つ島、少しでも役立とう。

大型客船が停泊できるような港がなく、1200名近い観光客が沖に係留した船からテンダーボートで送り込むには大変な時間がかかる。6月27日午前7時北西部のハンガロア村沖にアンカーを落とし、以前スペースシャトルの緊急滑走路として整備された飛行場の手前にある、小さな漁港に搬送を開始。ボート1艘につき9名乗船。

波が荒くボートは近づけない。船本体を風よけにするため向きを振り、右舷から乗るか左舷から乗るか、目まぐるしく変化する。ツアー客がテンダーボートに乗り込もうとするが、風が強く、波が高く、ボートの上下が激しく慣れていないのでタイミングがとれず時間が掛かり、中断に中断。午後一番の順番だった我々は延期、翌々日29日最終日となった。運よく島に渡った乗客は波しぶきを浴びてずぶぬれになり、雨にも降られ、散々だったらしい。

翌日、Gコースの連中、暇に任せてテンダーボート乗り込みを眺め、野次り評価する。昼間デッキではビアガーデンが開かれる。残り物には福があると信じつつ明日を待つ。今日も予定のツアーの数グループが順延となった。

29日最終日、朝は凪いで静かだ。晴れ間も見える。昨日の順延組から出発。15分遅れで9人ごとのグループに別れ、船の救命胴衣をしっかり身に付け、緊張と不安の中で指示を待つ。乗り込順番で座席位置が決まる。私は中央真ん中、ここは最高の席、両側から来る水が少ない。Nは後ろ左端、水しぶきをもろに受ける。二人とも最悪を予想してズボンの下にレジ袋を敷き込み、アウトドアーのウエアーを身に付け、膝にウインドーブレーカを巻き完全防備。

乗船は4人の頑強な船員が両腕を確保、身を任せればなんの苦労もない。テンダーボートの浮き沈みのタイミングを華麗に合わせ乗船。9名全員乗船完了。

前後に漁師が一人ずつ、後ろは船外機を操る。普段は漁に使っている船らしい。ボートは意気揚々、猛スピードで港に向かう。風を配慮しながら大きく円を描きながら進む。ボートは波を叩きつけ、波に跳ね上がり、尾てい骨が叩きつけられ、カーブを切ると水しぶきはもろに顔を叩きつける。遊園地のアトラクションより、はるかにリアルで楽しい。あっという間の15分かそこいら。打ち寄せる波が白く高く上がる岩礁をぬって、静かな紺に澄み切った海の小さな港に滑り込み、岸にロープで固定着岸、無事上陸。引き上げられた体は宙を舞っているよう、全身ずぶぬれ。荷物検査を受け入島、国立公園の入場券、トイレ券、帰りのボート券、チリ検閲及び税関が認めた昼食のジャムとパンと飲料水を受け取り、4時間の自由時間、出発進行。

港の左方面海岸に沿って進めば市街に行ける。天候が目まぐるしく変わる。この島は東からの風が山を昇り、西に向かって下りる時、雨が降る。濡れたついでで、多少濡れても気にならないが、さすが強い雨が来て、軒先を探し、馬小屋を発見、雨宿りをする。2度目はカフェのの軒先で、2重の虹が大空にかかる。虹の島だ。

電気はあるが、どうしているのだろうか。太陽光パネルも風力発電も見当たらない。発電機で電気を起こしているのだろうか。ちょっと気になる。

町の中心部に小さな入り江があり、前回はここにテンダーボートが着岸、上陸した覚えがある。あの時は3月だった。静かな海だったのだろう。この入り江の左手は少し大き目の波が打ち寄せてる浜があり、サーファーが漂って、なかなか波に乗れないようだ。しばらく見る。晴れ間が広がりいつの間にか濡れていた衣服は乾いてしまった。

今日は土曜日、なにか催しものがあるのか、集会所らしき処で、住民たちが準備をしている。町を通り抜けデコレーションで飾られた石が目に入る。見るとキリスト教墓地だ。花やモアイ像やオブジェで飾られている。この先、草原が広がり、タハイ(Tahai)遺跡となっている。修復復元されたものだが、十分イースター島の雰囲気を味わえる。街中でも、ここでも大型犬が寝そべったり、駆けずり回ったり、大人しくしており、犬の楽園の様だ。

海を見れば白い船体に赤い煙突のPeaceBoatが威風堂々としている。草原は整備されて、新しい像だろう、目玉のあるモアイ像が突っ立ている。みんな陸を向いている。

この先に博物館があるはず、Museoの看板に従って進むが見つからない。場所を聞くと元来た道の右側だと言う。さっきの看板を確かめると正しい矢印が消えかかって、反対のホテルの矢印を見間違えたようだ。正しく進むがMuseoの看板がなく、先の案内看板で間違いに気づき、戻って矢印につられいつの間にか人家に侵入、Nがのこのこ入り込み聞き、子供が案内してくれる。そう、先ほど通り過ぎた場所、目立たず奥まった所に立派な看板があったのだ。良く看板を読むと、大きくMAPSEとあり、小さくMuseo RAPANUIと書かれていた。さっきはMAPSEしか読まなかった。

昼過ぎになり腹ぺこ、係の人のみで人がいない。そこで船支給のパンにかぶりついた。その内、続々と客が入場、この際恥も外聞も無かった。博物館は無料で、島の考古学見地から島の歴史を語ったもので、細工物や彫刻、釣り針などの漁具、色彩顔料や大きな石の加工物、矢じりや斧、装飾品、石に書かれた模様など、原住民の写真や入れ墨が、現物と大きなパネルにスペイン語と英語で説明がびっしりと書かれており、只々写真に撮るだけで退散した。トイレはきれいで、景色が良く洒落た所だ。

帰りのボートは13時45分、元来た道を戻る。準備に忙しかった集会場に長蛇の列、ちゃっかりPBの乗客も並んで無料の施しを受けていた。Hola(オラ)と言えばすれ違う人からIorana(イオラナ)と帰ってくる。ここは絶海の孤島、安全・安心の町らしい。

街に入り、お店のある中央通りを港に向かい歩く。なんとスズキジムニーが多いことか、驚く。時間より15分ほど早く港に着き、のんびり疲れをいやしていたら、乗る方いませんかと呼ばれる。ボートに乗り移る時、透き通る水中を見ると魚が群れている。港は波立たず、乗船は楽勝。4人が集まり、前に一人、後ろに三人乗り込み港を出る。

穏やかかと思った海は大きくうねり、迫力ある走行だ。FRPの船体のヤマハエンジンはうなりを上げ、パワーボートのように海上を飛び上がり、船体を叩きつけ、スラロームのように舵を切り、雪煙のようにしぶきをあげ、船頭は走行を楽しんでる様子。我々は座っている板に必死にへばりついている。激しく水をかぶるので助手が見かねてカバーを出してくれ、側面を覆い、お陰で、ずぶぬれにならないで済んだ。PBに近づくと急ブレーキ、上手い具合にコントロール出来るものだと感心し、ほっとする。9人乗りに4人では軽かったようだ。乗船も船員任せあっという間に帰船。

船室に戻り、眼鏡のレンズを触るとごわごわする。塩がへばり付いているのだ。唇をなめるとしょっぱい、良い塩加減だ。髪毛はごわごわだ。こんなに塩水を浴びたのにべとつかない不思議な経験だった。

イースター島での最大の楽しみはと聞かれれば、テンダーボートと答えるだろう。時間通り全員帰船、予定より早く離島。いよいよ皆既日食だ。