ニューヨーク・ニューヨーク・ニューヨーク


ポンタデルガータを出て一週間大西洋はいたずらっぽく船を揺らし、時には大きく揺れ気分を悪くした。揺れが収まり早朝5時デッキには大勢の人がニューヨークを待ち構えた。

ニューヨークは50年ほど前に訪れたことがあり、摩天楼の都市とし憧れと驚きの目を見張ったものだ。今や高層ビルは当たり前の時代、奇妙な形や鏡張りの建物も、どんなに競い合っても溶け込んで驚きはない。船は緑青なのか緑の自由の女神の脇を通りハドソン川を遡りPier88(桟橋88)に着岸、いよいよニューヨークだ。

PBでは入国審査は厳重で全員の対面審査が終わるのに6時間は掛かるだろうとと言う。乗客は最上階から審査するとのことで二人は7階なので比較的早い時間で出られそうだ。脅かす割りには審査はパスポートのチェック、顔写真のパソコンへの取り込み、両手の指紋の取り込みで完了。ところが指紋取り込みでセンサーに指を当てるが中々読み取れない。早口で何やら指示するが分からない、動作でおでこをさするので、直ぐに察しがついた。脂分を指紋に付ければ読み取れるかも、てな感じ。係員は笑みを浮かべNYを楽しんでと送り出してくれる。Nの指紋は消えていてさらに倍以上の時間が掛かったが無事入国。

さてこの2日間をどう過ごすか。目標を決める。ブロードウェイ・ミュージカル、セントラルパーク、ジョンレノン、メトロポリタン美術館、9・11メモリアル、トランプタワーとこの辺かな。

船着き場は48番街、中心街に徒歩30分も掛からない、素晴らしい場所だ。第一の目標、切符を求めにタイムズスクエアのTKTSに行くが、まだ午前中なので販売ミュージカルが一つしかなく、どんな内容か、買い方も分からないので、じゃ適当な劇場を探すかと59番街に入ると早速目に入ったのがCHICAGO、これならなんとなく内容が分かるのでまあ良いかと、開いているのか締まっているのか古い建物のドアを押し開けると薄暗い中にチケット売り場らしき窓口に人影が、試しに今日の分有りますかと聞けば、この席とこの席が、真ん中で良い所だよと、一階席と二階席と提示、手ごろな値段$99二階中央の席を購入、こんなに簡単に買えるんだと感激。午後8時開演。第一目標クリアー。


セントラルパークのジョンレノンのメモリアルを見て斜めに横切ればメトロポリタンへは行けるな、と言うことで高齢者歩行の始まりだ。入り口でホットドッグを頬張り、寄って来るスズメやハトに食べこぼし、腹ごしらえをした。

どのようにしてこの大都会にこのような広い公園が出来たのか、きっと深い歴史があるのだろうなと思いながら歩く。走っている人、自転車の人、馬車の観光、歩く人、皆それぞれ楽しみ、大勢の観光客で賑わっている。所々で洒落たジャズの演奏が聞こえて来たり、鳥のさえずりを聞きながらメトロポリタンに着く。大勢の人でごった返して、おっとりとした気分にはなれない。館内は広すぎて迷路のようで目的の展示物が発見できない。静かな場所を見つけWIFIに繋ぎ、しばし黙々とスマホをいじる。

フェルメール、ゴッホ、ゴーギャン、ルノアール、セザンヌ、、、馴染みの画家の絵を鑑賞。益々人出が多くなる。


さて次なる課題は、9・11メモリアルはちょっと遠い、地下鉄に乗ることにする。今はきれいになったと聞くがどうだろうか。地下鉄の乗り場が意外と分からなく苦労したが、切符は自動券売機で簡単に購入、カードをスライドさせて読み取らせ通行バーを押し回しホームに入場、電車に乗る。きれいで治安の不安感は全くない。しっかりした路線図を持っていれば、こんな便利な乗り物はないが、少々乗り降り駅が聞き取れなく不安だった。この辺で降りればメモリアルは近くだろうと地上に出て、角のポリスに聞けば左真っすぐと。白い建物が目に入る。

初めは鳥が羽を広げたような白い近代的な建物がメモリアルかと思ったが、崩壊したビルの跡地にメモリアルを作ったという話を思い出し足を進めると大きな水が流れ落ちるプールを発見、大勢の人が中を覗き込んでいる異様な雰囲気に出くわした。

正方形の切り込まれたプールに壁全面から水が流れ落ち底に落ちた水がさらに中央部に彫り込まれた正方形の井戸のような穴に水が吸い込まれていく、犠牲の人達の冥福を祈り平和を望むとは裏腹な、許しがたい怨念がのろけ立ち地獄の底へ皆を引きずり込むような作品で私の感覚には全く合わない物だった。これが2か所、不気味な感じだった。もし白い羽を広げた鳥の建物が無かったら、救い難いモニュメントになったのでは。怨念の塊だ。大勢の人が冥福を祈っていた。白い建物の地下に地下鉄乗り場があった。


地下鉄で中心部に戻り、ピザ屋で腹ごしらえ。久しぶりにとペプシを頼んだら日本のカップの4倍ほどの大きさ、失敗一個にすれば良かった。開演まで時間があるのでブロードウェイの片隅の椅子に腰かけ大勢の通りすがる人々を眺める。けたたましくサイレンを鳴らす救急車、込み合う車の流れ、車を縫う自転車、なんでも有りの街だ。

さあ時間だ。古い建物はとても劇場だとは思えないが歴史を感じさせる。床が傾いて朽ちそうなホールで狭い、椅子の間隔が狭い、歴史を感じさせる。この位置からステージ全体が見渡せ悪くない席だ。ステージはひな壇の楽団が中央を占めており、上段に左、ペット2本トロンボーン2本と1人パーカッション、ドラム、中段クラ2本サックス1人2本、ベースは1人でチューバ、ウッドベース、エレキ、その下ピアノ、もう1人ピアノとアコーデオンで指揮者、その下左隅にバイオリン、右に1人でエレキ、バンジョーと言った編成。残ったスペースで歌に踊りが展開される。実に効果的に楽器編成を変え、正にブロードウェイミュージカルのあの、アメリカのサウンドが見事なPAで臨場感ある表現で感動した。照明も恰好いい、歌踊り凄い。舞台は瞬間の変化展開が面白い。観客のノリは、ノリ過ぎ、お隣さんセリフの度にケラケラ、こっちとら意味が分からないのでうるさかった。あの小さな舞台で、3時間近い熱演のエネルギーに感心した。

二人の殺人者が無罪を勝ち取り、これを売りにショウビジネスにデビュウの件は、暗転から目つぶしの一列のライトが下って床に落ちたとたん反転し銀色に輝く緞帳をバックに派手な二人の踊り、ミラーボールで場内はお店の雰囲気、観客大騒ぎ、このノリが本場ブロードウェイなのかと初体験。

夜11時過ぎ終演。ミュージカルに酔い曲が耳に残り、夢心地の中、暗い夜道を、いや船仲間がぞろぞろ歩く道を20分ほどで船にたどり着く。充実した一日となった。


翌日、同じ埠頭の向かいにJTBチャーターのサン・プリンセスに以前PBの友人達が乗っているので出口で小一時間探し、待ち、どうにか会うことができ、豪華客船との違いをしみじみと知り、食事はどうかとか、アルコールの規制は無いとか、船内の話しなど、話は尽きないが一日は短いので日本での再会を約束して別れる。

 (N記 ニューヨーク着 2日前の船内新聞に ・ニューヨーク滞在中は 酒類禁止(自動販売機も)、簡素な食事、コーヒーもなし、風呂もなし と掲載された。 最後まで理由は提示されなかった。 その二日間 国連の関係者を招待し パーティーを開催 その会場は乗船者は出入りできない。 食事と酒盛りをしていた。 どう言う訳? 全く同じ日程で停泊していたサン・プリンセスでは そんな規制は全然なしと。どう言う訳? 我思うに サン・プリンセスはアメリカ船、ピースボートは 一時出入り禁止だった。そんなところか・・・。ミュージカル見て 足取りも軽く帰船した夜11時半頃 販売機にビールを買いに行ったら 未だ袋がかぶされていてKはがっかり)

今日は、昨日充実した一日が送れたので、疲れない程度に散策しようと、船の隣に航空母艦の空軍博物館があったので見に行く。潜水艦も停泊、第二次世界大戦に使われていたらしく本物。初めて狭い窮屈な艦内を見て驚く。隣はPEACE BOAT、平和を守るには武力はいらないというものと、武力あっての平和と、なんと皮肉な事か。

空母の見学も初めて。プロペラ機のエンジンの大きいこと。ジェット戦闘機になると小さくなる。さらにスペースシャトルの巨大な事、驚きの塊。(写真手前が軍事博物館、ピースボート、その向こうにサン・プリンセス 大きい)昼食は船に戻って取る。節約に尽きる。

お上りさんはトランプタワーも興味あり、お店には簡単に入れ壁から水が流れる金ぴかのキラキラの内装を見学。カーネギーホールやら教会やら道すがらニューヨークを眺め、土産物屋でトランプ人形を覗き、スーパーで買い物、明るい内に帰船。疲れの残る2日間だった。出国はX線検査のみ、簡単。大勢の人で賑わう希望と不安の、人々は昔のアメリカらしい自由な感じがして、合衆国が敵を作る政策をやめ、大きな気持ちのアメリカになって欲しいなあと思いながら、摩天楼の夜景を見ることなく疲れでベッドに潜り込んだ。

このベッド片側がバネがへたって寝にくい、転がり落ちそう。