カスバのタンジェ


快晴の朝を迎え船はモロッコはタンジェに接岸。Tangierは地中海が大西洋に出るジブラルタル海峡をくぐったすぐ下、アフリカ大陸の港湾都市。1923年イギリス、フランス、スペインが共同管理、56年モロッコに編入。何語が話されるのか。

5mほどの高い岸壁に守られた新しい港に着岸、アフリカの踊りで歓迎を受ける。目前に白い建物が迫り、そこが旧市内、要塞、カスバだ。旧市街の入り口まで往復7米ドルでシャトルバスが出ているが歩くことにする。港はきれいに整備され、隣にフェリーターミナルがあるのでWIFIが繋がるかなと寄ってみた。入り口に警備員、この中はスペインで入場禁止、ああそうなの、ヨーロッパと直結しているのか。歩みを進めようとしたところ、白い長いドレスをまとった長老が近寄って来て、英語でお方は何処から来たのじゃと話しかけられ、いま我々はラマダーンで、飲み物などはどこそこのコンビニに行けばよい、などと大変ですねと聞けば、我々の心は断食をものともしないのだとか、君たちは大いにこの町を楽しんでくれたまえ、とか優しく諭され出発。

旧市街の入り口にあたる坂道を発見、登り始める。狭い道に車がねじ込むように入り危なそうだ。カスバは迷路で治安が悪いので十分気を付けろと洗脳されていたので用心していたが、断食でだるそうにたむろしている人達から「こんにちは」「ニイハオ」と、言葉を交わしそれ以上何も起こらない。これならエジプトのしつこさなく気楽に過ごせる。脇の人混みに入ると市場で大勢の現地人と外国人観光客に揉まれ、露骨にさばき始めた羊か牛を見ながら、野菜果物、香辛料、もっと奥に魚介類があったそうだが見損ねたが、迷子にならないように抜け出し、中心街の出た。

市場は活気があったものの外は、坂道をいかにもだるそうにゆっくりゆっくり日陰を求め休み休み歩く人が目についた。カスバ博物館があると案内図にあるので探すが分からない。若い学生に聞くと英語で丁寧に教えてくれるが、分からない。近くに来たが分からない。店で聞くと教えてくれ、子供が案内してくれる。どうも案内料が欲しいらしいが、小銭がないので飴でごまかし、子供はしぶしぶ帰っていく。人懐っこく可愛いが振り切る。散々聞き、なのに今日は閉館。

暑い盛りなのか店の人は日陰で休み、閉店が多い感じだ。日陰があると人がたたずんでいる。夜はきっと怪しい雰囲気なのかと思いながらタンジェの色合いを感じ取る。城壁の見晴らし台に大勢が集まり、PBを見下ろす。狭い日影に身を寄せて暑さをしのいでいたら船上の知人が市場でイチゴを買ったと振舞ってくれた。ほとばしる汁と甘酸っぱさが昔懐かしいイチゴの味で、暑さを忘れさせてくれた。

一通り旧市街を見渡したので疲れが出ないうちに帰る。途中近道かと思って別のゲートから入ろうとしたら警察官がここは違うと、わざわざ案内して連れて行ってくれる。徘徊老人と思われたのか、びっくりするぐらい親切で優しく送ってくれた。出国はIDカードを提示し荷物のX線検査で終了。

日の出から日の入りまで食を断つ、宗教は大変だ。宗教心なく、稀に日の出を拝み、たまに自然に感動し感謝するものの、神の教えなど請わず今までがあるが、大きな間違いもなく人生を歩んで来れたが、国が一丸となって強い教えの下で生きていかなければなんて、大変だ。宗教は非情にも私が思う神の教えから逸脱して恐ろしい。