ギザのピラミッドと博物館


午前5時集合。カイロは港からバスで3時間半。ツアーバスに乗り込み全車両の隊列が整うのを待ち、グループ毎に前に四駆のパトカー、後ろに小型トラックの荷台を改造し武装した警察車両が付き、いざ出陣。バスは観光警察の先導で高速道路に入る。

高速と言っても人が歩いている。横断する人もいる。車線に関係なく追い越し追い越され、スエズ運河に沿って戻るようにカイロに向かう。平和の橋を左手に見てバスは内陸方面に進む。スエズ運河と同じぐらいの距離がある。

車窓から見ると畑らしき物で何か農作物を大勢で収穫している。ウリかスイカか。広くはないが牛や羊が放牧されている所があり、廃屋の工場や牧舎や瓦礫が散らばっている所、立派な建物など、変化に富んでいる。運河を作り畑を作っているのか塩田のような土地が広がっている。

道路は料金所か検問所かで、手前に凸凹がありバスは徐行する。エアコンが充分に効き寒いぐらいだ。路面はきれいだが路側帯は瓦礫が散乱している。

次第に緑が増え、朦朧としてすっきりとしないままカイロ市内にはいる。大集団が考古学博物館に到着。団体行動の始まりだ。団体は我々だけでなく、大勢の人でごった返している。入場券とカメラ撮影券が配られ、ガイドの音声受信機を各自耳に付け、博物館内に入る。ピラミッドから掘り出された遺物が薄暗い中に展示され、説明も上の空、そう言うものかと通り過ぎる。集合時間に先導員がいないのでうろつくものの同車両の皆は自然と集まって無事土産物屋さんと昼食のレストランへ出発。土産物屋の通りには物貰いの子供が群がっているが、残念ながら無視する。何か趣味に合う物を探すが無い。エジプトでは米ドルが流通。ビュッフェ形式の食事で私は食欲がなくバナナのみ口にする。バスに乗り込み外を見ると物貰いの子供たちが可愛い笑顔で見送ってくれる。素晴らしい笑顔に、なんだこれはと頭は混乱する。

バスはとうとうと流れるナイル川を見ながら進む。途中変わったポールを立てた船が係留されているが、ファルーカと呼ばれる帆船かも知れない。河を渡り高層ビルも見える街中を抜けると遠く薄っすらとピラミッドが見える。

あれがクフ王のピラミッドか。快晴の30数度だか爽やかな空気に包まれ到着。目前にそびえ立つ瓦礫の山、いや正確に積み上げられた石の山、ピラミッドだ。石畳や埋まっている石が光っている。多くの観光客が踏みつけ磨いて行ったもののようだ。

ガイドからラクダを撮るといちゃもんを付けられるとか、物売りを相手にすると大変だから無視しろとか、確かにしつこいが、千円で、つまり日本円の千円札で、「10個千円」と小さなピラミッドや何やら重しのような造形物を売っている。見本を見せて、「はいお買い上げと」脇に持った袋を渡すが、聞くところによると、確認を怠ると見本とは個数が少ないものを掴ませるといった可愛いごまかしをしているとか面白い。

ヤマモトヤマと声を掛ける者、このアングルが写真に良いよと近づく者、どこまでが友達なのか判断できない。

現実のピラミッドを見ると、どうしてこんなところにこんなエネルギーを費やしたのか、せっかくの死後のあの世の来世を信じたものが掘り起こされ、博物館で晒し者にされ、次元が違うので、どう思っているのか分からないが、この時代まで捨てられていないと考えると正解だったかもしれない。と言うことは、現代でもそう動いている独裁征服者がいることに通じるのかも知れない。なんて思いながらふと遠くに目をやると、砂漠にラクダの隊列が行進している。太陽の砂漠に焼き付いている。

スフィンクスの後姿は無様な胴長だったんだ。目を疑ってしまった。近くまで行くには別料金。もし、エジプトが人に絡まれず安心して観光できるようになれば、遺跡でもっと稼げるのでは。遺跡の国で遺石と瓦礫、廃墟と廃屋、ゴミがらくたが区別がつかないので整理が出来ない国じゃまずい。きれいにして、心が荒れてしまう。力と力ではどうにもならない。

砂嵐で散々な目に遭うことがあるというが、この素晴らしい晴れ間に恵まれ感謝。バスに揺られて3時間半無事帰船。