ポートサイド町散歩


スエズ運河左折して午後5時ごろポートサイドに着岸、初めてのエジプト上陸。パスポートのビザ証明印とIDカードの確認と手荷物X線検査で入国、エジプトの土を踏む。所々に警察官の制服組や私服組や警備兵なのがたむろしており、この国はどんな問題を抱えているのか気にしない我々は土産物売りの人に付きまとわれて、只々逃げ回る。

ポートゲートから一歩出ても、別に不安な感じはないが、道に瓦礫が転がっており整理整頓が行き届いていない。荒廃したビルが放置されて吹き溜まりにゴミが目立ち、清潔にされている部分と荒れ果てている部分が混在しる。通行車両は多く、それがいわゆる我々がいつも見慣れている車で溢れていて、信号が無いのに、どのようなルールで走っているのか分からないが、そこそこ流れている。横断は隙間とタイミングを見計らって、速やか行動する。場合によって譲ってくれ埼玉の衆より親切だ。とは言うものの怖い。全体にイラついている感じで、道路両脇は駐車車両でいっぱいだ。

人々は普通に行き交う。筋肉逞しい野良犬がさっそうと町を闊歩して犬の自由さに感心する。船内でエジプト平和問題についての講座を聞いたが、人の平和は訪れていないと、子供からの教育が平和をもたらすと言うが気の遠くなる話しだ。エジプトではキリスト教会もあり共存している話した。宗教の問題では無いと言う。

船の周りを数ブロック歩いて戻り、途中イスラム寺院があったので中を覗いて見た。石の階段を上がり、無頓着に入り口まで突入、ドアを開け一歩前に、映像でよく目にする両手足をついてお祈りをするスペースを模様で織り込んだ絨毯を敷き詰めたイスラム礼拝場に、土足のまま踏み入れてしまった。しまった、急いで靴を脱ぎ靴の踵を持ったまま、格好がつかないので絨毯にひざまずき神妙に礼拝場内を観察していたら、すっぽりと白い服をまとった太ったイスラムの司祭が、そっと近寄り、「靴は底と底を合わせて持つものだよ」とヒゲ爺を優しくさとす。諭された。無知は罪成り。ほんとうはアラーの神は優しいのだ。帰り教会の子供がパンをどうぞと持ってくるの頂く。

太陽が沈み、急に世間が落ち着き始めた。車の流れが減り、そう言えば、今はラマダーン月、夜明けから日没までイスラム教徒は断食していたのだ。警備をしていた警官もパトカーの中でもごもぐ、軽機関銃を持った兵士も道路脇でもぐもぐ、イスラム教徒は大変だ。教会のイルミネーションが点灯され、無事日が暮れ、船室に戻ることができた。夜、頂いたパンをかじると、素朴なパンの味に中に薄甘いあんのようなものが入っていた。アンパンだ。アーメン。