PB初寄港ペナン島ペナン(Penang)・旧称ジョージタウン


本来ならシンガポールを出て5日航海してスリランカはコロンボに寄港するはずだったが、惨いテロ事件が発生した為、急遽マレーシアのペナン島に変更、2日で到着。PBの寄港は今回が初めてだと言い情報が少ない。

ペナン島はマレー半島北西岸の小さな島で港から対岸が良く見える。2本の中央につり橋の海上橋とフェリーで本土と繋がっているらしい。町はイギリスの東南アジア進出拠点として1786年に建設、アジア・ヨーロッパ結ぶ貿易港として発展した。シナ、インド、アラブ、マレー、Acehnese、シャム、ビルマ、ヨーロッパなどの民族が、狭い2km四方位のエリアに集まり町を作り発展し、各民族の寺院仏閣ひしめき各タウンが形成され2008年7月歴史的建造物や多民族の文化が残されておりUNESCO世界遺産に登録されたそうな。現在はマレーシアの手軽な観光地して賑わっているとか。

日差しが強く気温34℃湿度が80%と汗の行き場がない過酷な街歩きが始まった。船を降りると故障しているのか停止した大型扇風機が待ち受ける古びたクルーズターミナルで案内図もらい見るが字が小さくましてや英語、読もうとすると頭が痛くなる。大まかな見当を付け、少額を換金、大勢のタクシーツアー勧誘員をかき分け表通りに出る。市内循環無料バスがあるが、歩け歩け。すぐそばの砦へ、シニア料金の設定はなく外国人料金で少し高い。手首にQRコード付きのテープを巻き付けられる。この町の方式らしい。世界遺産に登録された時点で整備されたのが10年経ち、展示が朽ちてきているようだ。大砲を囲んで記念写真一枚。このテープは固くてなかなか破れない。

日陰を求めながら裏道を行く。駐車の車が多い。公園の木陰では男どもがごろごろと寝そべっている。白い建物があったので入るとCityHallとか、町の歴史の展示を見る。中はエアコンは利いていないが少し暑さが和らぐ。この町の西にKOMTARという67階建ての円筒形タワービルがそびえ立つと言う。そこを目指し、街中を縫って歩く。建物は2階か3階で道に面しており、1階部分は2m位窪んで歩道になっているように見えるが、今は車が家いっぱいに寄せて止められ、日陰の元を歩ければきっと快適かもしれないが、バイクや荷物で使い物にならない。道々でモスクや各宗教の丸や四角の塔を横目で見ながら市場を探す。見つけるが既に店じまい、隣で鶏を処理しているお店、青いポリタンクには鶏の足が詰まっている。こういう景色はなかなか見られない。

暑さの中、思考は次第に不確かになり、やっと傍にそびえるタワーが目に入る。隣のショッピングモールに入る。これが極楽と言うのか冷房が効いて自己をとりもどす。ファーウエのスマホの店舗が幅を利かせて、食べ物屋コーナーで水分を求め奇妙な黒い飲み物と果物ジュースを注文、心配しながら飲み干す。涼しさの中で周りを見渡すと、麺類もある。熱そうだが極楽の中、お好みの麺を頂く。タワーは一旦外に出て隣に入りなおすらしくややこしい。案内矢印を追って行くがエレベータに行きつかず少し迷った末、切符売り場へ。シニアと言うとパスポートを言うのでこの頭を見ろと言って入場、手首にテープを巻き付けられる。日本製の高速エレベータで展望階に到着、暗い部屋に案内され、いきなり町の紹介映像が流れ、内容は思い出せないが、まあ格好良くまとめられエンディングは、いきなり明るくなり下界が広がる劇的な演出、スクリーンが開いて展望台となったのだ。眼下に平たい赤茶けた屋根がびっしりと埋め尽くし所々に白亜の寺院の建物が映え、いかにも歴史的世界遺産にふさわしい姿を見せている。このビルは一部透明ガラスの床で真下を見通せるようになって高度恐怖症の人は固まってしまうのでは、階下はテーマパークになっているらしい。

タワーを後に地上に降り、この狭い町にしては結構車やバイクが多く、横断歩道や信号が少なく、身に危険は感じないが強引な横断を強いられ、街並みを見ながら海岸方向に向かう。途中果物屋でマンゴー、モンキーバナナを買う。この店主英語がきれい。きっと周りは由緒ある街路だろう、ただただ歩く。人の流れはチャイナの水上生活者の桟橋に続く。住人が数匹のエビが入った網籠をを引き上げていた。先の小屋は何だろう、線香がたててあったので中国系の寺かな、航海の安全を願う。中華店がひしめき合う道を、ひたすらPBに向かった。

宗教のるつぼで平和に過ごしている街だとしたら、個人個人が信ずる真の、正しい宗教の姿だと思う。世界遺産を整備守るには、横断歩道と信号と木陰を増やして欲しいな。足は鉛と化した。