最後の寄港地 アピア(サモア独立国)


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横暴な欧米に振り回されたサモアは1962年に独立、第一次産業と観光で自立を歩んでいて、昨日の嵐が収まった港でリズム高らかにサモアダンスで迎えられた。色鮮やかなボンネットバスがツアー客を迎えに来た。聞けば板張りのシートで苦痛を味わったとか。我々はのんびり海岸線に沿って片道4Km程度の散策。海岸は黒砂でゴミは多いが、堤防の脇に生える木には実をつけ南国情緒豊か。途中、水産養殖指導の日本人に逢い、ボラがここでは神格化されている?との話に驚き、市場の場所を教わる。程よい陽射しで風が通り抜け汗をかかない。気がつけば左側通行、独立前ニュージーランドが統括していた名残だ、歩きやすい。

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市場では細い枝係が欠かせない仕事だ。ハエがのべつなく飛び回る。真っ暗い室内、時が経ちやっと何かが判別できる薄暗い市場でTシャツを買うが、まけてくれない。店ではお釣りを請求しないと忘れ去られる傾向にある。おっとりというか、ずる賢いと言うかは、受け取り方次第。

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ビールを飲み、ツナの刺身を食べ、見ると肌が薄っすらと赤みを帯びている。南国の強い紫外線の悪戯だ。サモアの火踊りに送られて最後の寄港地に別れをつげた。スッカラカンの頭は走馬灯のように今起こっている現実も遠い昔のような、3ヶ月の旅をしてきたのだろうかと、幻想の中をさ迷うように時が過ぎて行った。

旅の話はこれにて幕、お付き合いしてくださり、ありがとうございました。

午前3時ごろ、ネットが空いている時間、ホームページの更新します。その時に空を見に行くのですが、このところ明け方の水平線近くの南天は雲がかかって見えません。ミナミジュウジ座は明け方に昇って来るのですが、残念、私だけ拝んでいません。晴れますように。K記