クスコからマチュピチュ遺跡へ


昨日の疲れを癒す間もなく早朝2時半集合、各班に別れ総勢約150人はバスで港を出発、20分ほどでリマ空港に到着。乗客がごった返す空港で右往左往、5時過ぎチャーター便でアンデス山脈の白い山を垣間見、興奮で睡を取る間もなく1時間20分ほどで標高3400mのクスコに無事到着。いきなり空気の薄いところに放り出され、徹夜明けのぼんやりとした浮ついた足取りでバスに乗り込む。若いペールー人男性ガイドが我々を待っていた。早朝、曇り空、クスコの中央、アルマス広場を散策、インカ帝国を壊滅し、スペインが築いたが、いたるところに破壊し得なかった精巧に組みあがった石垣の残る町並み拝見。犬供がうろつき近寄り何故か人に優しく車を追って吠える。バスはマチュピチュ行き列車出発オリャンタイタンボ駅に、2時間山道をひたすら上り下る。そびえ立つ山の谷間に駅があった。まだまだ遠い。列車は川沿いの谷間を縫って2時間、ビールでも飲みながら行けば楽しいが寝不足から来る高度障害で厳禁だ。山奥だが次第に緑が濃くなる。到着。昼食後、駅から登山バスで30分ほど揺られやっと遺跡入り口に辿り着く。さあこれから遺跡の階段を登る。時折小雨が混じるが、程よい湿りが害虫を防ぎ虫に刺されることは少ない。いったいどの程度登るのか、高度障害が出るのか心配しながらゆっくりと足を進める。標高2300m。若いガイドの日本語は正しく、よく勉強をしておりプロとして的確に深く案内をしてくれ、この偉大な遺跡の魅力を引き出してくれる。インカが滅びた後、ジャングルに覆われたこの地は谷筋を偵察したスペイン人に発見されることなく、荒らされ略奪、破壊されること無く残った。地元の人は知っていたと言うが、静かに眠る遺跡を1911年アメリカ人により発見、覆い茂る木々から発掘、美しい天上の都市が蘇ったという。石段を一段一段登るにつれてTVでおなじみの光景が目前に広がり、しっとりと雨に濡れた石と異常に明るい若草色の草のコントラストが目に焼きつく。ガイドの説明の間、スケッチブックを取り出し念願のマチュプチュの印象を受けたラインを1,2分なぐり描く、水性ペンの線が雨で滲む。絵になるかは疑問。いつもの景色の反対側はマチュプチュ山2940mがそびえ立ち、その中腹にこの遺跡があるらしい。ガイドの的確な説明に相槌を打ちながらコースを一巡、時々霧に覆われたり、一瞬の晴れ間が見えたり、しっとりと濡れたインカ時代の都市の仕組みを学び、天文学が発達し高度な技術を持っていたという文明に、なぜ文字文化が無かったのか、いや、実は違った記録伝達技術を持っていたが今だ発見されていないのかもしれないと密かに思いながら、まったく理解する事もなく、限られた時間の散策、心残りはあるが、帰路に着く。登山バス、列車、バスと夜遅くクスコのホテルに着き船の3倍ほどのベットにばったんと就寝。消し忘れの前日の午前1時半に目覚ましがなり、飛び起きNはその後眠れなかったと文句。明日の観光に備えた。

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雪を頂くアンデスの山々 巧みに組みあがったインカの石壁 クスコの町旗、虹色の旗
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オリャンタイタンボ駅 車中の軽食、イチゴすぱっみが美味い
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列車は川沿いに下り、そびえ立つ山の麓の緑が濃くなった。マチュピチュ駅からヘアピンカーブ続く道を一気に登る。緑はインカ道。

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儀式の部屋と台形の窓 東西南北を表わす石と私の磁石
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遺跡はこんな木で覆われていたのか 草刈はリャマに任せて お名残惜しい、集合の合図
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上、霧が神秘性を増す
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左、いつも見る景色の背後には2910mのマチュピチュ山がそびえ立ち水はここから流れてくるらしい。
右、車内でのアトラクションとファッションショウと車内販売