世界遺産チチェンイツァ観光


ポンタデルガータを出港して長い大西洋の航海が始まった。この時期大海は揺れるというが横浜出港時より激しく揺れ、まだこの船は耐用年数があることを証明した。思い出は走馬灯のように目まぐるしく行き交い時間の感覚が薄れ、今までの旅の経験を順を追って話すのが難しくなってしまった。ボケの始まりか。船内ではウクレレグループのお披露目が2回もあり、バックの支えでギター伴奏に駆り出された。ウクレレ初心者の皆さん楽しまれたようだ。10月21日運動会でやっと海は穏やかになり、23日にはキューバのハバナの高層ビルが遠くシルエットとなって望まれ、急に34℃と暑くなり、いよいよカリブ海に入った。船は魔のバミューダ三角海域の縁を航行、24日メキシコはコズメル島のプンタ・ランゴスタ埠頭に接岸。

今日はチチェン・イツァ遺跡観光に参加、朝8時過ぎ島から対岸の本土に高速フェリーで45分ほど揺られプラヤ・デル・カルメンに到着。港では賢そうな犬が迎えてくれる。あちこちと回り愛くるしいが麻薬犬だ。大観光地にふさわしく石畳の小奇麗なショッピングセンターを通り抜け駐車場へ、ここからバスで2時間ほど、車は右側通行、無駄に大きいアメ車のトラックが目立ち、信号は少なく、交差点はロータリー形式で村の入り口にはダンプがあり車は減速、村内は40Kmぐらいの制限速度、10m高位の密林に覆われた高速道路ような道は時速110Kmの標識、やっとチチェン・イツァ遺跡に到着。雨が降り出し、バイキングの昼食後、仰々しく2枚の入場券を見せ入場。遺跡に向う道両脇にみやげ物店が並び世界遺産にふさわしくないが、売り子はしっこくなく気疲れなく通り過ぎることができる。幸い雨は上がり、蒸し暑さが身に沁みる。10世紀から200年間繁栄したマヤ文明の遺跡、ジャングルに埋もれていたものが発見されたと云う。天文学に秀でていたらしくピラミッドは階段の数で1年間365日を表し、また18ヶ月を表すと云う。特殊な球技の勝者のキャプテンが生贄にされ神の元に召される事を生涯の誉れとする世界で、心臓を捧げる生贄の台や晒された骸骨の彫刻など、理解しにくい文明だ。発掘された人骨のDNAから蒙古斑のアジアから渡ってきたのではないかと言われている。遺跡の修復は60%程か、以前はピラミッドの中も見学、登ることも出来たが、落書き等で中止、とにかく1日5000人以上もの観光客が集れば痛みも激しくなるものと思われる。ピラミッドを前に手を叩くと、それぞれの面で残響が獣になったり鳥になったり、こだまが違って聞こえ面白い。当時はどうだったかは判らない。ガイドの説明を聞き逃さないように、えんじ色の旗にくっついて見学。担当者はハイタッチで人数確認、老人も、中には手を握る人が居て、楽しそうに手を合わせている。目的地までの移動に行き帰り6時間、見学に2時間と疲れが残る観光だったが、密林から発見された文明を見ることができ、最終的に戦闘能力差で国が滅びてしまったのか、自然環境で滅びてしまったのか解らないが、自爆テロなど人間の性が現在の問題に繋がっているものだと感じた。

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斜め右上の植物はテキーラの原材料のサボテン。左写真は車窓から見た町の中に立派な屋根つきのフットサル場を発見。クリックすれば写真が換わります。右写真は朝濡れた石畳を滑らないように歩いたショッピングセンターで買い物、夜9時の様子。ここからジェットフェーリでコズメルに渡り帰船。お疲れ様。

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