豊富な天然ガスを元手に発展するカタール


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ドバイで1晩停泊し9月14日午前7時ドーハに入港。相変わらずのべっとりと重い暑さだ。この国の入国手続きは各自パスポートを提示して審査、パスポートはカタール側に一時保管される。2022年にW杯が開かれる。ドーハの悲劇のあの忌まわしき思い出のドーハに上陸。ピースボートは初寄港、なぜかPBの活動が評価されたのかカタール政府文化省主催の歓迎イベントが行われるとのこと、PBは大騒ぎ。送迎バスで会場に到着。急遽イスラム芸術ミュージアム駐車場に冷房完備の特設テントが用意され我々を迎えてくれた。1000人も入る会場で高官の挨拶、東北大震災への義捐金に感謝し、アラブの文化交流、PB有志の合唱や和太鼓など、アラブ料理を頂き、文化体験コーナーではヘナのタトゥやアラビア文字で名前を書いてもらい、絶大の招待を受けた。

午後は、ここでも駆け足ツアーに参加、ドーハとカタール北部観光。近代的な素敵なデザインの博物館を後に車窓から破竹の勢いで開発されている町を見ながら高速を1時間ほどドライブ、町から外れた砂漠の舗装道路に無数のタイヤ痕がありサーキット族が車をスピンさせて遊んでいるようだ。8ヶ月ぐらいで新車に買い換えるそうな。車窓から人口農場らしき物を発見。やっと遠くに海岸が見え、デンマークの団体が修復中の世界遺産のアル・ズバラ・フォート(要塞)に到着。ぎらつく太陽の下で見学。急ぎバスは進む。自然の乏しい中でアルダキーラに有る海岸から少し離れた、何処から流れ着いたのかマングローブが自生している島を観察。地下資源発掘されなかった以前は木造帆船で魚や真珠貝を採っていたそうだ。

車窓からは別荘のような中流家庭用の分譲住宅が次々に建設されている町を横目で見ながら急ぎ帰路につく。カタールでは純血カタール人には政府から過大な援助が受けられ無税なので贅沢ができるらしい。カタール人はマンションは好まず一戸建てに住むらしい。バスは砂漠に落ちる夕日を横に見ながら、途中照明灯がタケノコのように樹立した夜間走行可能のレーシング・サーキットと屋根に覆われた冷房可能のワールドカップ会場を見ながら、急ぎドーハへ進むが渋滞。ここでは朝7時ごろ昼2時頃夕方5時過ぎと3回渋滞があるとか。勤務は6時間、夕方は遊びに出かける混雑だと言う。いくら天然ガスが100年は持つと言うが、この間で国創りを完成しないととんでもない事になってしまう。王様が知恵を絞っていることだろう。暗くなって埋立地の超高級住宅、超高級マンション群を見学、ここでは外国人に不動産を提供する事による町造りをしているとか。埋立地の土はインドやフィリピンから輸入、国民の土地、国土を奪わず、新たに王様の土地を造り国民の非難を浴びないようにしているとか、金が有り余っている国の考え方は違う物だと感心。英語が第二言語。移住も受け入れ、無税。飲料水は輸入、雑水は海から作っているそだ。

バスはスーク・ワキーフ、路地に店が並ぶ市場を見学する間もなく通り過ぎレストランに到着、ビュッフェ形式だが上品なアラブ料理を頂き帰船時間ギリギリに間に合い、本日のツアーは終了。おつかれさま。

出航時刻になっても離岸しない。どうもカタールの高官が乗船して下船が遅くなり午後10時45分ごろ出航した。期待していたホルムズ海峡は日没後の通過、海賊対策のためデッキが封鎖され見ることができない。今頃国内では安保関連法案で大変な騒ぎになっていると思う。中東の日本での評価は米国に負けたが努力して先進国になった尊敬すべき国で、各国の見本でもあり希望の国でもあり目標にしている国と言う。そんな平和の国がいよいよアメリカの手下になると思うと、これらの国々の見方が変わって来るのだろうと感じた。(ヒゲ記)

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