3月29日 スバ フィジーの首都 自由行動

更新日 2010/03/31

船は静かに確実に西に進む。寄港地の時間に合わせるため船内時間は、度々1日1時間遅らせて1日25時間として時差調整を行う。とうとう3月26日は日付変更線を越え、3月27日が消滅して一気に28日になった。海は少しうねりが有り、時々スコールが通過、抜けるような青空が遠ざかって、サイクロンの発生地帯らしく入道雲が目立つようになってきた。気温32度湿度は高く日差しは厳しいが、日陰のデッキは不思議と暑くない。むしろ船内の強烈な冷房が身体をいじめる。トンガのどこかの島影が見え、最後の寄港地フィジーが近づいてきた。

3月29日今航海初めての雨降る入港、激しい雨の中、今航海初めてのブラスバンドがフィジーの伝統的衣装かスカート姿で倉庫の中から、高らかに歓迎の音楽で我々を迎えてくれた。スバの町はフィジーの首都、とは言え高い建物は12,3階程度、歴史的な建物は目立たず、近代的ビルは少なく、一般的な古い建物が立ち並び緑に覆われて、賑やかな港町。岸壁には上海の漁船船団が停泊。

英国の植民地を経て独立、クーデターが起こるなどして、インド人とフィジー人が競い合っている。

この雨の中、水溜りも気にせずに出発。中心部を気の向くまま散策。港の前は市場が、中に入ると野菜や果物が商いされ賑わっている。ラグビーボール状のスイカ、小さいパイナップル、様々な南国の果物、日本でおなじみの野菜、小さいがダイコンが、カボチャもほうれん草も香菜も、きりがない。これは何と聞けば気さくに答えてくれるが多少周りからじろじろ見られ、ここは市場の中、人ごみの中、なんとなく警戒しながらさりげなく楽しまなければならないのはつらいが、遠めに近めに目をやりながら現地の生活を伺った。


船から1kmちょっとでサーストン・ガーデン(1912年に開かれた植物園)とフィジー博物館がある。一歩町に出ると車はうねるように走り、車用の信号があっても歩行者用の信号がない。歩行者用の信号があっても、決して青にならない。車は左。横断は車の流れを見計らって器用に渡らなければならない。が、横断歩道では止まってくれる車もあり、紳士が居ることは確かだ。日本車が多い。

雨は小降りになってきた。植物園はたっぷりと水を含み、熱帯楽園の色とりどり花が、しっとりと咲き、目には見えないが蚊がいるのか腕の所々が痒くなったりしながら、たっぷりとある時間に任せて、ゆっくりと観賞、出会う人たちは一組を除いて皆船の仲間。

こじんまりとした博物館はフィジーの漁業や歴史を展示している。漁具類やカヌーの展示。外航の大型カヌーや川上からの産物を運搬する片道だけの竹の筏の展示。捕鯨など。

いつもながら博物館は薄暗い照明と小さな字で読みにくい。ましてや英語解説文で目がくらくら、ただ眺めるのみ。フィジーには勿論原住民がそれぞれ王国を作っていたが例によって宣教師が銃と共に野蛮人として操り、銃を手にした部族は戦いバウ族のザコンバウ王が全土を統一フィジー王として1874年に英国に譲渡、96年間植民地となる。サトウキビのプラントが始まり労働者としてインド人を入植。

MASIと呼ばれる木の皮の繊維で作った布のドレスが展示され、その模様がここの文化を表しているようだ。売店で独特なデザインの模様が描かれた数点の手作り紙を求めた。

雨は上がり町に出ると、なぜか見慣れたタクシーが通り過ぎる。日本からのタクシー中古車がそのまま使われているのだ。よく見かけるので、かなりの台数が走っているのでは。右の緑のバス、窓に何か布のようなものがかかっている。このバスには窓ガラスがない。雨の日はカバーをつけて、蒸し暑そうだが前面にCoolの文字が。

フィジーの人口は83万弱フィジー系54%インド系36%とインド人が大勢。昼はインドカレーを、店員が注文の仕方を丁寧に教えてくれ、小魚のカレーと鶏肉のカレーでロティと長粒米を注文手で食べてみる。結局数回挑戦したもののスプーンに変更、やっぱり食べにくい。器が面白いし味は船の日本カレーよりは辛さと味の深みが違うし、米が旨い。船の今日の晩飯はセットメニューでカレー、味比べが出来る。

町を散策し、スーパーでウイスキーを探し、フィジー産の物を見つけ買ったが、たった375mlのポケット瓶が1000円近くして高かった。味は辛味が強く少しまろやかな感じで、スコッチ仕込かな。ぶらぶらして、このブラがフィジーでは「こんにちは」と言う意味で、穏やかでフレンドリーなフィジーの人たちと、にこやかに挨拶ができた。インド系は「ナマステ」。街中で「コーヒ、お茶」の声が聞こえる。船内のレストランのクルーが短時間の休憩で外出、そんな仲間が冗談に声を掛けたのだ。私服で分かりにくいが、そんなクルーに出会うのがおかしい。三ヶ月の旅で一体感が生まれる。クルーも横浜を楽しみにしているという。少なくとも安全安心は、これまでの一番と言えるだろうから。

そういえば、郵便局では窓口に並び、はがきを出すと切手を渡され代金を払い、さてどうしたものかと問えば、ポストはアウトサイドと言う、つまり自分で切手を貼り自分でポストに入れよということなのだ。ポストは行き先宛や種類で確か4つに分かれていてOverseasに投函。

上の写真は魚屋の様子、小船で川に入り岸辺の店舗で魚を並べ売る、蛍光色の青い魚が転がっている。また路上ではカツオやぶつ切りにした魚をビニール袋に入れ転がして売っている。

土産物屋を巡りながら、のんびりとした一日を過ごし船に戻る。岸壁では上海漁船団の一人が魚釣り、小さな魚を釣り上げていた。海を覗くと油が浮いているものの透明な水に黄色や青や縞模様の熱帯魚が泳ぎ、ボラの群れがゆっくりと通り過ぎて行った。16000歩のゆったり観光。

いよいよこの航海は終焉を迎える。観光客専門のポリスが我々を見守ってくれており、ポリス軍団の楽団か、朝方のブラスバンドが見送りのパレードを展開、フィジーの伝統的な勇ましい踊りを披露、統率の取れたメリハリの在るパレードとパーフォーマンス、なごやかなポピュラーソングの演奏など盛り沢山に披露、数多くのテープが投げられデッキではシャンペンの振舞いがあり、賑やかにスバの港を後にした。

4月9日には横浜に着岸。ここからは全員自由行動。船外企画なし。早々と翌日の土日は船内見学会、現在船内では新しい旅客に向けて、補修工事や清掃で慌しい。我々も、色々と学んだ人は発表会などで忙しく、後の10日間もあっと言う間に過ぎ現実に放り込まれるのだろう。信号は守って歩こう。(K記)

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