3月16日 イースター島観光

更新日 2010/03/17

カヤオを出てから7日目、長い長い航海のように感じられるが、何時の間にかイースター島に到着。毎日のんびりはしているものの、その流れの中で、悪戯に時が過ぎてしまう。海は次第に青さから黒さが増し生まれて初めて目にする色のよう。ヒマラヤの空のように透き通ったブルーブラック、静かな海を突き進む。出来事と言えば海燕がデッキに2羽仮死状態になっていたが、山での野鳥のように静かに温めてやり夜遅く、2羽とも元気に飛び立っていった。

昨夜は星空鑑賞会と称してデッキのライトを消し暗くして、心配された夕方の雲は何処かに飛び去り、南太平洋の星空をデッキチェアーに寝そべり、幸運の満天の星空に浸る。もう乗客たちは南天の星空に自信を持って説明が出来るほどの物知りになってしまった。シリウスやカノープスが天頂に輝き南十字星は横向きだ。

時の過ごし方は人それぞれ、ゆったりとした時間を楽しむ者、忙しく駆けずり回る者、語学に打ち込む者、スポーツに打ち込む者、色々な芸を習得する者、ダンスを学ぶもの、ゲームに興じる者、読書に、居眠りに、楽器を、合唱を、音楽を楽しむ者、などなど。寄港地にまつわるビデオが上映され知識を得て、なぜか多くの人は、船内の学習会で俄か評論家になり、忙しくふるまっている。

朝6時ごろデッキに上がると、船はイスラ・デ・パスクア(イースター島のチリ名)、の西岸ハンガ・ロア村の沖合い1,5Kmに停泊、まだ暗闇だ。イースター島はチリ時間の為、自然の時間とはかけ離れている。

今日はバンで島巡り。テンダーボートに乗り移り、島の船着き場で上陸と言う。10人も乗ればいっぱいの小さな船外機付きFRP製ボートに本船の筏から救命胴衣を身につけて波間の浮き沈みのタイミングを見計らって乗り移り海面すれすれを疾走、オセアニックの大きいこと、爽快なピストン移送作戦。無事上陸、楽しい体験だった。


どこからかき集めたのだろうかバンやマイクロバスやワゴン車が多数集まっている。私達は申し込みツアーで一番安かった通訳なしの現地ガイドによる観光。数台に分乗して72名様一行、我々14人は猛烈にうるさいベンツのマイクロバスで出発だ。船着場はハンガ・ロア村の中心、大観光村。島は周囲58Km全長28Kmの三角形。車はエンジン音を高らかに荒れた道をひた走る。木が少ない、森が無い、痩せた火山台地か、痩せた馬放牧されているのか野生なのか、枯れ草に少し緑が混ざる草原を、稀に畑を見る、そんな人工的な自然を持つ島を縦断。ゲートをくぐると駐車場。狭いが美しい赤み掛かった砂で澄んだ波が打ち寄せるアナケナビーチに到着。ここにはこんなモアイ像が立ち並ぶ。ガイドの通訳は乗客の一人が買って出てくれ、適度に訳してくれる。ビーチで記念の水浴びをする仲間もいた。モアイ像は海岸に背を向けて内側に向いている。これは島内の部族間同士の睨み合いの像、敵は海からではなく陸地内から来ると言うことで内側を向いているらしい。

車はモアイ像の製造石切り場ラノ・ララクへ。火山岩のガレ場を散歩し作りかけの像や運びかけの像を見ながら、モアイ像の歴史を聞く。何百トンもある像をどうやって運んだのかとか、何の為とか、今まで紹介された程度で取り立てて新しいことは分かっていないようだ。公園内の監視は厳しく道を踏み外せば、ピピピーと笛がなり注意を喚起する。まあ大切な観光資源だ。

アフ・トンガリキでは日本の企業が再建した15体のモアイ像。先月のチリ地震による津波の大きな被害はなく、モアイ像は安泰だったそうだ。

モアイ倒しの歴史後、マケマケ信仰とやら、オロンゴの鳥人儀礼の話がある国立公園内に入り説明を聞く。石板を積み重ねて作った儀式様住居やラノ・カウ火山の火口湖を覗き込み、なにやら話があった美しい島を見ながら今日のイースター島観光は終了。山を下る車窓から我等が住居のオセアニックを確認。再び救命胴衣を身につけ帰船。バスツアーにもかかわらず適度な散策があり16、000歩。昼食があんドーナツや菓子パンなどの船から支給のランチだったせいか空腹で急ぎ船内レストランに走った。中華やきそば、お代わりあり。ビールを飲み、美味しく頂いた。

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