3月6日 カヤオからティティカカ湖とクスコへのオーバーランドツアー

更新日 2010/03/13

予定ではマチュピチュへの旅だったが、1月の豪雨の為土砂崩れ道路は寸断され入ることが出来ず中止。ツアーを変更してティティカカ湖と世界遺産クスコの観光にした。

3月6日午前2時10分に集合。船は接岸しておりタラップが降りている。早朝と言うか深夜と言うか厳しい行程だ。バスに乗り込み、厳重に窓格子の入った粗末な2,3階建ての家が立ち並び、怪しげな人影が見つめる道路を空港に向かって、もうろうとしながら出発した。治安が悪い場所と云われるのにパスポート所持が義務づけられている。空港で朝食の弁当を食べ、セキュリティチェックを受け、ランペルー航空に乗り込み、アンデスの山に思いを込め、途中アレキパを経由してフリアカに到着。いきなり3825m、すでに足がふらつく感じだ。ここから、つらい高度障害の旅が始まった。写真を見るだけで頭が痛くなるので、文章は徐々に書き込むことにして、画像をUPしておきます。編集途中(K記)


昨夜は雨だっただろうか、バスは早朝の濡れた町を幾つか通り、野を走り山を登り、山を下り、プーノのホテルに向かう。至る所水浸し。家並みは崩れ易い日干しレンガで固め、税金逃れの建設途中を示す細い鉄棒をむき出しにした粗末なもの。

今日の宿はプーノの町外れ、ティティカカ湖が一望できる新しいホテル。標高3855m。ホテルで休憩、コカ茶を飲み覚せいを期待するが、少し頭と目の奥が痛いのみ。近代的なホテルだが、水洗トイレだが紙は流してはいけないと表示されている。

ガレ場を重い足を引きずって登る。レストランは洒落て立派だが、入り口までの道はダート、まるで登山だ。ほうれん草の入った野菜スープに付け合せにジャガイモとニンジンの鶏肉、本来なら美味しい料理なんだろうが、どうも食欲が無い。高度障害が少しずつ出始めて、かなり具合の悪い人が出て来た。昼食後バスはウロス島行きのボートの桟橋に我々を運ぶ。大観光地らしく数十隻の船が桟橋にひしめき合っている。マチュピチュへの観光が禁止となった為、ここも客が激減したらしい。晴れた青い空を映し出した湖面をトトラ(葦)を積み重ねて作った浮島に向かってモーターボートは進む。ウロス島には、スペイン軍から逃れた先住民が住みついたと云われる。税金逃れの怠け者と言う人も居る。


左の写真はウロス島の説明の為の模型。黒い部分が葦の根で、この葦の根ブロックに杭を打ち離れないように縄で止め広さを確保し、葦を積み重ねて浮島を作り、その上に葦の小屋を建て小さな菜園を作り、葦や魚や鳥を食料に、生活しているらしいが、ここには太陽電池とパラボラアンテナが目に入り、足は船外機つきの小型ボートで観光業のお陰か現金収入があり、見た目は貧しそうだが結構潤っているように見受けられる。我々も葦の茎の皮をむき中身を試食、青臭いが食べられる。写真中央にはサンプルの魚を食べようとしている猫がかわいい。


民族衣装に昔ながらの生活を再現、小さな子供もみやげ物の店員、日本語の歌まで披露、しっかり観光業を身につけている。トトラ(葦)で作った双胴船に乗り込み手漕ぎで移動、今では船の芯にペットボトルを使用して強度と耐久性を増している。風が冷たい。

上の写真はウロス島にある一小学校か。土曜の為子供達はいないが、日本から贈られた習字が目を引く。フジモリ政権はインフラの整備に金を掛けたらしい次期大統領選に立候補するといわれる娘さんのKEIKOの文字が道々で見られるが人気はいまいちだと言われている。この壁文字はプーノで見かけたものだ。

冷たい風に打たれ寒さが胃腸に響き最悪の状態、ホテルに入りそのまま寝込む。


浅い眠りにうなされながら明け方を迎える。食欲はない。息を整えながら寝たが効果は無く頭痛に腹痛。今日は4338mの峠を越えクスコに向かう。アンデスの山々は5000m以上にならないと雪が残らないという。昼間の暑さで雪が融けてしまうから、確かに日射しが強く、頭痛の頭を殴りつけるようだ。

アンデス古代文明の遺跡など巡り、勉強不足で時代背景の整理が付かないままツアーは続く。所々で水に浸かった町々を通り過ぎる。この高地でも草が茂り、茶、白、灰色の色々なアルパカが放牧されて、沢山の毛が取れそうだ。夕方バスはクスコのホテルに到着。少し高度が下がったせいか幾分楽になってきた。フォルクローレ・ディナーショー。3400m。

3月8日午前7時出発。クスコ観光。インカの石組の数々を見学、黄金に輝いた神殿が強欲無知なスペイン人によって鋳潰された話を聞きながら西洋人の横暴さを軽蔑しながら、おみやげ物を買いあさる。クスコの町の旗は右の写真のように虹Arcoirisの旗。町はスペイン風で泥壁のプーノに比べ美しい。右下はアルマス広場。下はインカの石組の上に建てられたスペイン時代の教会。その下はサクサイワマン遺跡、インカ時代を再現した太陽の祭りが毎年開かれる。大観光イベントか。

放心状態の皆は、昼過ぎ空路でリマに、やっとわが身に帰った様、バスで深夜通過したカヤオへ乾ききった街だ。山のようなみやげ物を手に、港に近づく、オセアニックの赤い煙突が見え、なぜか船旅族の安堵感に包まれ、このつらい旅の終焉を迎えた。完全に回復した訳ではないが、一先ず歩みが軽くなった。

このツアーで殆どの人が高度障害に悩まされ、酸素ボンベが必要な人がいたが、中には元気な人がいて個人差の大きさに驚いた。日ごろ深い腹式呼吸を心がけていると酸素摂取量が増えて良いという。とはいうものの、深夜の寝不足出発が最大の原因だったと思う。

文字を持たなかったインカ文明にはまだまだ謎だらけ、今後の研究に期待しよう。(K記)

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