2/18 ウシュアイア 世界最南端の町、ここからが南極への出発点だ。

更新日 2010/02/27

重いまぶたをこじ開けて甲板に上がると日の出は間近。珍しく予定時間に着岸、北欧に在るような美しい町だ。歴史を紐解いてみれば、不毛の大地に火を見てマゼランが火の島フェゴ島と名付け、キリスト教宣教師が住みつき、ゴールドラッシュに見舞われ、1896年領有権を確保するため刑務所が作られた。地の果て最南端の歴史が始まる。裸族に近い?原住民は侵略人間の病原菌に犯され滅亡したとか。今は観光バスの側面に素っ裸の原住民がプリントされている。

極寒の地の燃料は薪、刑務所から原生林伐採のため鉄道が敷かれた。囚人達は足かせを付けられ、粗末な横縞模様の囚人服で極寒の中、時には雪をかき汽車を押し森林を伐採したという。現在、薪を焚いた蒸気機関車が観光の一役を担っている。この出発駅まで船仲間4人でタクシーで移動。狭軌60cmの磨かれ大切に手入れされたミニ蒸気機関車に腰を屈めて乗り込み、100年前の物か白く朽ちた切り株を見ながら、万年雪に覆われた山々を望みながら、あくまでも観光客の気分で景色を眺めた。

町に戻り今は博物館となった監獄の周りを散策し、世界の果て博物館を見学、ペンギングッツやさまざまな南極観光記念グッツや世界の果てTシャツを物色しながら、今夜の南極出港に期待を弾ませて、のんびりと観光をした。3時過ぎにぱらぱらと冷たい雨が時々降る天気となった。バスツアーから戻った仲間達は強風と小雨の中、町へアルコールを買い求めて繰り出して行った。この町はタックスフリーで酒が安い。

オセアニックはフルスロットルで猛烈な白煙を吐く小さなタグボートに船体を押されて、かろうじて定時に離岸。この船には南極遊覧に欠かせないアイスパイロットが乗船しているはず、いよいよ南極に向かって出発進行。(K記)


船内生活その2

リオデジャネイロから30数名が南極上陸18日間のオーバーランドツアーに出発し船内閑散としていたが 入れ替わりにブエノスアイレスから80数名が乗船して来て又賑やかさを取り戻した。この中には背筋をピンと伸ばした好男性が乗り込んでいる。おん年95歳。目標は101歳でピースボートに乗船することだと言う。世の中凄すぎる人がいっぱ居るのだ。

今回68回はブエノスアイレスからペルーのカヤオまでの約一ヶ月のフライト&クルーズが催行された。ハイライトの南極最終回とマチュピチュの組みあわせが人気を呼んだようだ。

南極上陸ツアー18日間は2種類のコースがありリオデジャネイロから(1)イグアスの滝観光二日間付きと(2)リオデジャネイロとブエノスアイレス観光に別れており その後は一緒でウシュアイアから4251トンの南極クルーズ船に乗り4日間の南極大陸上陸(午前と午後一回づつ)食事、宿泊は船内。船は接岸できないので8〜10人乗りのテンダーボート(ゴムボート)に乗り移るそうだ。日常あまり運動もしていない80代のご婦人も参加しているのでちょっと心配。ツアーの金額知りたいでしょ?(1)は93万円(2)は103万円。!!!驚きマークでしょ?上陸してペンギンちゃんに会いたいけど我慢がまん。

このような魅力的なオーバーランドツアーがいっぱい催行されていますが船に乗るだけで精一杯の我々には高値の花。他にもパタゴニア・パイネ国立公園6日間 とか ウユニ塩湖・チチカカ湖11日間 とか 遡れば アフリカ・ビクトリアの滝3日間 とか タンザニア・ワイルドサファリと喜望峰9日間 とか アフリカの大地から学ぶ未来のかたち9日間 とか カンボジア地雷問題検証ツアー とか、とか、とか。寄港地毎に一日ツアーが催行されているが我々夫婦はもっぱら足を武器に、乗るとすれば地元のバスを利用し経済的に観光している次第。

 2月3日夜10時半頃 南十字星を見ていたら東の水平線から真っ赤な月が顔をだした。 横に居た人が「あ、船が燃えている!」と。見ていた人々から「初めての経験!涙が出ちゃった!」と。それから2,3日は真っ赤な月を見たい人が増え だがしかし 月は12時近くのお出ましとなり しかも新月になってきて あの最初の日の感動は衰えていきました。

 毎日日の出と日の入りの写真を撮っている人多々。しかし若者の姿はない。若者は夜中まで飲んだり、お喋りしたりで朝寝坊。どこに居ても同じ現象か。

 17日 朝から珍しく鳥達が十数羽舞っている。どうも船尾の泡が魚の大群の泡と勘違いしているらしい。探鳥会会員の人が「眉黒あほうどりで羽根を広げた長さは2m40cmある」と教えてくれた。日本で言うあほうどりとはちょっと違うらしい。図鑑に なんとかアルバトロスと書いてある。人を恐れる様子もなく我々の頭上をゆうゆうと飛んでいる。このところイルカも飛び魚も鯨も見ていないので今日は顔まではっきりと判る近さの鳥さんに一日楽しませてもらった。

 今日、明日 ドレーク海峡は大揺れに荒れるので・・・と説明会で驚かされていたのが全然揺れず。明日はどうなるか(2月19日N記)


南極海遊覧

怒りを忘れたドレーク海峡で十分な休養を取り、20日、日の出より早くデッキに上る。灰色の空と薄黒い海に青白い物体が、流氷だ。ついに南氷洋に到達した。一瞬雲の切れ間から朝日が漏れ、少し雲を染め、穏やかな南極海の夜明けを迎え、船は速度を緩めキングジョージ島を右に見ながら航行、気温1℃風弱く次第に晴れ間が広がる、全てに感謝の遊覧が始まった。巨大な棚氷が分裂した卓上氷山、オブジェのような氷河氷山、ころころと飛び散る様に機敏な動きのペンギン達、険しい雪山、海に迫る氷河、これが南極か。

船の周りでは、海岸に氷山にペンギンが姿を見せ、クジラやシャチが辛抱強く目を凝らして待てば、その姿を目にすることができ、ぼんやり眺めていても、続々と景色が変化、休まる暇はない。この夜、デセプション島沖に停泊、21日南極半島を左手にさらに南へ、南緯64度58分西経63度25分まで南下、今回の最南下地点だ。この付近で停泊。船は海上を漂う。

この3日間、時折見せる陽光を浴び、比較的穏やかな天候に恵まれたが、猛烈な強風の元突き刺さるような寒さも体験、とはいうものの気温はせいぜいマイナス1℃程度。氷山のぷちぷちと音のするオンザロックを戴く。この氷はクルーが救命ボートを下ろして氷山を砕いて持ってきた物。

わが家がある日突然南極に現われたような不可思議な感覚に包まれた。これが船旅なのか。

緯度が高いと言っても3時間程暗転になる夜間は、残念にも重い雲に覆われ南極の星空や月を見ることができなかった。オセアニック号は小さな流氷にゴンと音を立ててぶつかった程度で無事航行、水の無駄使に注意して、船外排水を止め、精一杯の努力をしているが相変わらず黒煙を吐く。南極航行はこれが最後。当然といえば当然。しかし、ここまで連れて行ってくれてありがとう。

2泊3日の南極遊覧は22日ニューメイヤー水道から南極氷河を見ながら強風を突き進み、夕方南極を惜しみながら25日着岸予定のプンタアレナスへ向かってドレーク海峡を渡り始めた。(K記)


プンタアレナス 

大きな船の揺れはゆったりと1000Kmの航海。深夜ホーン岬を通過ビーグル水道に入り、24日明け方チリ領海でパイロットが乗船、狭い水道を安全に案内してくれる。水道は島や山に狭まり、迫り来る氷河からは大量の水が溶け大きな滝を形成。見納めの数個の氷河を見ながら、入り組んだ水道を回り回って、定刻より1時間ほど遅れ海底に柱を立てた短い桟橋に着岸。はみ出た舳先と船尾は浮きアンカーで固定されている。

プンタ・アレナス港からセントラルまでタクシーで15分、4,5Kmか、我等が歩け隊はてくてく歩き始めた。道は簡単右に行って左真っ直ぐ、広い道路の中央は公園のように手入れされ、木製の遊具があったり、何かの記念の像やオブジェがあり退屈させない。歩くこと1時間半BIENVENIDOS A PUNTA ARENASの歓迎の横断幕が迎えてくれた。道は碁盤の目で一方通行で信号が整備され人々は自然で安心して歩ける。

アルマス広場は征服者マゼランの下に打ちひしがれた先住民が頭を垂れているという銅像を中心にお土産屋が取り囲む観光スポット。ここから丘に登り町全体を眺めたり、地元の食堂でセルベッサ(ビール)付き子羊の腸の煮込み定食600円を頂き、スーパーでアルコールを買い求め、殆どの店は米ドルが通用。パタゴニアの自然と歴史や文化が展示された博物館で少し勉強をして、歩くことしめて30、176歩。重い荷物をぶら下げて、よく歩きました。

船は22時マゼラン海峡を通り、大きな地震があったと聞くコンセプシオンの北500Kmに在るパルパライソへ無事出港。(K記)

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