ブエノスアイレス(アルゼンチン)とモンテビデオ(ウルグアイ)自由行動

2月12日、酷暑のリオを離れ船は南アメリカ沿いに南下、海は青色から緑色へ、アルゼンチンを流れるラ・プラタ、河幅200Kmにも及ぶ河口は茶色に変わり、この河を遡りブエノスアイレスはテルミナレス・リオ・デ・ラ・プラタ港に予定より2時間遅れ、狭い航路をタグボートの力を借りてなんとか接岸。朝日に映えたブエノスは高層ビルが連立する大都会、ビルの谷間に教会や歴史を感じさせる古い塔が見え隠れする。オセアニックの背後には豪華客船ビクトリア号が迫り狭い岸壁をた易く切り抜け早々と着岸。

今日の自由行動は海岸沿いにカミニートへ、帰路はブエノスの繁華街で買い物と言うコースにした。ブエノスはスペイン、イタリア、ドイツ、フランスと95%以上ヨーロッパ系移民で構成されているというだけにブラジルとは違った洒落た感じの町、危険度は一般的な都会並みの一人歩きはやはり厳禁という。

道路の並木にはかわいいオオムが寄り添い、高級レストランでは肉の搬入。広い道路は横断歩道に信号があり、比較的渡り易い。日差しは強く影を求めて廃線になった路面電車の軌道を歩く。ウオーターフロントの近代的な町を過ぎ、方向を誤り修正、下町に潜り込む。下町の街角に小さなサッカー場があり白と空に塗り分けられた小さなスタンドがあった。ボカ地区の匂いがする。Nが子供連れのお母さんに道を聞き、どこそこのバスで行きなさい、カメラに気をつけてねと、教えてくれる。Kは現在地が確認できたので、また気ままに足を運ぶ。今度は鍵束をぶらさげた親父に道を聞く、親切にカミニートはこうこうしてああしてと教えてくれる。Kはイスクエルダとデレチャしか判らないが適当に歩くと、親父は心配なのか途中から引き返して、一緒に歩きこの道を左だよと教えてくれる。ボカ・ジュニオルズのスタジアムの脇を通りぬけ、そうこうしている内に賑やかな場所に到着。カラフルな色彩に彩られたカミニートは大勢の観光客で騒々しい。一歩進むとボカ港、移民時代唯一の港町で船員や労働者がたむろして生まれた怪しい踊りアルゼンチンタンゴの発祥地という。いまやタンゴは哀愁をおびた物静かな男女の葛藤の踊りから、激しくもけたたましい格闘のようなダンスになったとか。まあ、さすが本場、減り張りの有る踊りは格好いいものだ。

アルゼンチンでは分厚いステーキといくのが定石だか、なんだか胃がもたれそうなのでビールと軽い食事でトイレストップ。照りつく炎天下の下、フロリダ通りから船にたどり着くコースを取った。メインをそれれば金曜日の昼さがりのんびりとサッカー話してくつろいでいるのか、じろじろと見られながら、荒れた建物、洒落た建物と入り乱れた地区を通過、メインストリートにたどり着く。角の公園では骨董ボロ市やレストランではタンゴの踊りが、いかにもヨーロッパ的な雰囲気が醸し出されている。

フロリダ通りは歩行者天国、両側に専門店が立ち並ぶ繁華街。腕時計の電池が切れたので時計屋で聞いてみたが色々な電池があるから判らないと言う。見れば判るから電池を見せてと言っても取り合ってくれない。まあそんなものかと思いながら歩いているとCASIOの看板が、時計を扱っている。そこで時計を見せ自分で出来るからと言って電池を購入、リセットが難しいのだけどと言ったら、そこの店員わざわざ別の蓋の開いた時計を持ってきてピンセットでショートしてリセットするところまで教えてもらった。たどたどしい言葉でも技術系会話はツーカーで理解し合えるのが不思議といえば不思議。そういえば山小屋のチャランゴの弦が切れているので楽器屋を探し、弦と歌伴用にカポタスト手に入れ、暑さにふらつきながら歩みを進めると、ツアーに出た船の仲間に出逢いスーパーマーケットがあったよと教えてもらい、そこでマテ茶買う。

途中フォークランド紛争前まで英国広場と言われた公園に建てられた英国塔を登ろうと入ったところエレベーターは故障、梯子はがたがたで登頂できず。案内の男性一人がカタカナで自分の字を書いて見せた。オマルさんと言う、ちょっと響きが悪いが、じゃあ日本語は他にひらがな漢字があるよと、尾丸と”おまる”を書いてあげた。もう一人の男性が私にもと言うので”ダニエル”と”だにえる”と書き、漢字は難しいからとごまかし、塔に登れず残念だったが会話を楽しんだ。

レティーロ駅でビールとコーヒーで一休み、駅前の雑踏を通り抜け無事オセアニックに帰船。しめて31,620歩、9時間、自由行動は疲れます。この夜、船の女の子が夕方一人歩きをして、カメラをひったくられたとの情報、せっかくの思い出がふいになってしまったと気の毒だった。(K記)


翌朝2月13日(土)ブエノスからラ・プラタ川を下ってモンテビデオ(ウルグアイ)に、入港待ちで予定より一時間程遅れ豪華客船の隣に着岸。横浜のランドマークタワー?に似た高層ビルやマンションらしき高層ビルが、ちらほらと歴史的建造物の間に見え、全体に一昔前のビルが立ち並ぶが意外と都会の形相。曲がりなりにもウルグアイの首都。毎回のことだが船外に出て港から入国するには、顔写真の入ったIDカードを示すだけでフリーパス、パスポートの携帯は必要なく、入国の許可が下りましたと船内放送があれば下船し、港の簡単なセキュリティチェックを通り入国、このシステムはありがたい。
今日はブエノスで歩きすぎたので無理をせず、港からすぐの旧市内を散策することにした。

観光客が賑わう食堂市場

港から出てすぐに旧市場をレストランやおみやげ物屋に仕立てたドームは、観光客があふれ大変な賑わい、メインから脇にそれて歩き出したところ、警官が寄って来てこちらはダメ、中央はあちらと修正させられる。観光客の安全を図るため脇道はしっかりとガードされている。本当は少し外れた所を見たかったが、素直に従った。昨日と同じように重い暑さが押しかかる。

安全地帯は要所要所に銅像や噴水の広場が、それぞれ由緒有る名前が付けられ歴史が感じ取られるが、勉強不足で感動は乏しい。そんな広場では骨董市や露天が開かれている。飛びぬけた感覚の店、古い味のある店、いわくありげな古めかしいビル、破壊しかかったビルなど、入り乱れた町並みだが、きっと何時かは整備されるのだろう。それにしても古い車が現役で動いている。日本車はスズキとダイハツを目にしたのみ。しめて16,996歩、少し疲れが溜まってしまった。観光は大きな産業で、それには安心安全が第一だと言うことをしみじみと感じた。

すでに豪華客船は出港し、赤く染まった夕日を後に、小回りのきかないオセアニックはよっこらしょと深夜出港。いよいよ南極の拠点ウシュアイアに向かって船は進む。

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