2/8 リオデジャネイロ

ナミビアのウォルビスベイを出港してから9日間ひたすら西進し、2月8日午前6時、日の出前の世界3代美港かと言われるリオデジャネイロ港に入った。半回転して船首を港出口に向け静かに7時ごろ1番埠頭に接岸、都会のリオに到着した。同じ頃、隣には大きなホテルのような大型豪華客船が接近、クラシックとモダンの競演、コスタ・ヴィクトリア号、ヨーロッパから来たようだ。埠頭の目の前にターミナル・ステーションがあり隣は海軍基地で警備は厳重な感じ。

急ぎ朝食を済ませ、ポルトガル語即席講座で教わった”Oi bom dia. おはよう Tudo bem? Tudo bom. 元気? 元気 Obrigado ありがとう Atelogo またね”を書いた紙切れを手にして、治安が悪いと説明会で散々脅かされていた町に、心配しながら仲間と3人で繰り出した。ターミナル前の広場プラサ・マウアは通勤時間帯か、車や人が忙しく行き交う。左ハンドル、車は右、人は赤信号でも車をかわしながら横断、我々もモンバサで身につけたこなし方で、タイミングを見計らいながら横断。しかしまだぎこちない。

数日後リオのカーニバルを控えた町は、控えめな飾りが有るのみ。カンデラリア教会を覗き、リオ・ブランコ大通りを歩く。歩道には所々キオスクがあり絵葉書を買い、そこでおやじさんから「カメラに気を付けな」と注意をされた。側にいたご婦人に、Nがいつものようにスーパーマーケットはどことスペイン語で聞き教わり、小さなスーパーで友人が求めていたコーヒーを大量に購入、おみやげ物で頭を悩ましていた彼は安堵して船に帰り、二人はポン・ジ・アスカール行きのバス停を求めて歩く。

日射しが強く汗が肌からにじみ出て来る。暫くさ迷いバス停らしき所を発見、バスの案内所のような小屋でどれに乗るのと聞けば107番だよと教えてくれる。二車線の通りは次から次へとバスが通り抜けて行く。バス停に止まるわけではない。目を凝らしてフロントガラス左上の表示盤の数字を見て大げさに手を上げてバスを停めさせないとバスはすっ飛んで行く。誰かが乗るバスを停めた後方のバスが107番、そのバスは我々を無視、先を急ぎバス停など気にもせず停止したバスを交わして通り過ぎていく。バスの案内人が笑って、もっと大げさに合図しなければと仕草する。しばらくして107番バスがやって来た。停止に成功、前から乗り込む。運転席後方左手に車掌が腰掛けて料金を徴収している。一人2.35レアル(125円)払うと回転ゲート押して奥に進む。ここでも「カメラに気を付けろ」と心配してくれる。バスはもたもたしている我々などまったく関知せず急発進急ブレーキなんでもあり。手すりにしがみつきながら座席につく。道路ではバスは乗用車、バイクに隙があれば突っ込み交わし、シフトアップは回転を上げ、カーブではかなりの横Gを受ける乱暴な運転、だが不安は無い小気味良い運転、さすがアイルトン・セナの国だ。目的地に着くと、隣の酔っ払って寝ていたような老人が着いたよと教えてくれ、もっともこの駅はケーブル乗り場で大勢の人が降り分かり易い所だったが、皆親切に教えてくれた。

ここから第1ロープウエーで海抜220m第2ロープウエーで海抜396mのポン・ジ・アスーカルの頂上へ、観光客で賑わうが警備は厳重、ゆっくりと時間をかけて買い物をしほろ苦いブラジルコーヒーを飲み、クアバジュースを飲み、チーズパンのポン・ジ・ケージョとコロッケのようなコシーニャを食べ、のんびりとコパカバーナ浜辺を眺め、リオの町を眺め気温40℃をも物とせず麓のケーブル駅横の小さなビーチの焼け付く砂を踏み、帰りもバス停を見つけ107番に乗り込み親切な車掌に降車の合図を受け、無事元来た大通りに、徒歩で船まで2万997歩、ターミナルに着くやいな、ビールで喉を潤した。

夜は珍しく、ファベーラ(スラム街)に住む若者達で結成されたダンスとバンドのライブの見学ツアーに参加。ファベーラ内の狭いながらも立派な会館で、力強いパーフォマンスを観覧、アフロサンバの強烈なリズムと音量と蒸し風呂以上に暑い熱気の中で若者と共に踊り狂う。

無理を承知で現地の人に守られながら会館の真向かいのバールに行き仲間数人でビールを買い、会館内ではアルコール禁止との掟で入り口で多くの子供達に囲まれながらビールを飲み干し、会話の不自由な我々はブラジルのサッカー選手の名前を思い出しながら発音すると子供達に何度も発音を訂正、あきれた顔して、意味不明の会話を交わし、突然アルシンドの名前が飛び交い、懐かしい名前を耳にして、子供達との楽しいひと時を過ごした。ピースボートではこれを交流という。カーニバルの衣装を着た子供達もその姿を見せに来てくれた。

いつ発砲があってもおかしくないと脅かされていた割には、ちょっと大胆な行動だったかもしれないが、万が一問題が発生したらマスコミがファベーラ攻撃に使われてしまうことに神経質になっていると感じた。

アフロヘイギは若者の非行を食い止めようと踊りや音楽を通して健全化を図ろうとしている団体で、プロが生まれ成功しているようだ。麻薬に走り、ファーストマネーに走ることを食い止め、何が何でも地道な職業が手に入る環境にしなければ貧困から逃れられない。確か数年後オリンピックとワールドカップが開催される国だが、貧困問題に蓋をしてしまうことがないように願う。

出港は23時であったが給油が遅れたため翌日の朝出港となった。後から来た豪華客船はすでに出港していた。旅行代理店から緊急連絡マチュピチュは実行不能とのこと。残念だが仕方が無い、Nは改めていつか行こうと言う。まあ、良いか。オーバーツアーで100名近く下船、ガラガラの船内、リッチな気分。

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