(1/27 喜望峰へ 1/28 自由行動)

1月26日、コシシケリ・アフリカを歌おうという呼びかけに、冷やかしに行って見たら、いつのまにか合唱団の一員になってしまった。Nはテナー、Kはバスと3,4回の練習で本番。モンバサから乗船したアフリカの若者達がPボートの若者達と一緒になってアフリカの貧困から脱却する提案書を国連等に提出しようという前夜祭に、にわか混声合唱団で南アフリカの国家を歌ってしまった。

1月27日、気が付けば、いつの間にか早朝、雨混じりの港に到着、ここはアフリカ最南の町ケープタウン、西にそびえ立つテーブルマウンテンは雲に覆われている。僅か一日半の滞在雲行きが怪しいが準備を整え総勢120名が観光バスに分乗、観光に出かける。オセアニックは大きいせいか中心部から少し離れた新しい埠頭に接岸、港内を暫く走り町に出た。右ハンドル車は左、イギリスの植民地だったせい。その前はオランダ。町は近代的で清潔な感じ、黒人問題を感じさせないが、これは昼間の話、夜間はアパルトヘイトが廃止されにも拘らず、移民の増大で治安が悪いらしい。見かけ上美しい町を通り、片側1車線の海岸沿いの山道を進む。こぎれいな家を見ながら山の上を見やるとびっしりと詰まったスラム街が遠くに固まっている。信号のある交差点では黒人達が車道付近に座っている。仕事を求めて車からの声を待っているとのこと、1日500円程度しか手に入らないと言う。また、停止した車に何かを売り歩いている人もいる、が我々の通っている道では黒人達の生活環境は判らない。

バスはアザラシ観光の為、ある小さな港に着いた。ここでサッカーの応援に使うラッパ、ブブゼラを買う。船に乗り込み10分ほどでアザラシが生息している岩に近づき生態を観察、岩に寝そべる無数のアザラシやウミウを見学、再びバスは喜望峰自然保護区に入り、レストランへ、そこで一人一匹のロブスターと白身魚の昼食、そこから軽い登りで徒歩20分閉鎖された灯台がある喜望峰展望台へ眼下にインド洋と大西洋が交わる大海原や絶壁下の白い浜とコバルトブルーの美しい海を見て、バスは山を下り道路に出てきたバブーン(ヒヒ)を見ながら、海岸に下りアフリカ最南西端に到着。青い海と昆布のようなゴムホースの様なケルプという海草が沢山打ち上げられた浜に着き各自喜望峰を見上げながら写真を撮る。

バスは次の目的地アフリカペンギンコローニーへ、駐車場から別荘地内を通り抜け浜辺の公園のような動物園のような場所だが海へは開放された土地に5,60cmほどの小さなペンギンが哲学者のようにあらぬ方向を見据えながら物思いにふけってたたずんでおり、歩調を合わせて歩いているペンギンなどが沢山いて可愛い姿かわいい仕草が時の経つのを忘れさせた。小雨が降ったり晴れたり複雑な天気の中、夕暮れ時バスは無事船に戻った。オセアニックが見えると我が家に帰ったと、ほっとする気分だ。

1月28日、半日自由行動。タクシーでワールドカップのスタジアムを見に出かけた。中には入れないがほぼ完成のように見受けられ、最終段階に入っているようだ。植樹された木にはスプリンクラーから水が散布され、レンガ敷き歩道が洒落ているが、この裏には這い上がれない黒人達いることを思うとちょっと気になる。まあピースボートはさて置いて、通りにはアディダスの公式球の遍歴が示され、ロータリーに国旗がたなびき、ごく一部にワールドカップ開催地の雰囲気が出ている。スタジアム付近の路上には高級車が駐車、電柵で防御した高級マンションや店があり、昼間の町は不安さは感じ取れない。スーパーで買い物をし散策しながら港に向かう。途中から前進するのに苦労するほどの風にあおられ、明るい黒人労務者とすれ違いながら帰船。船は午後3時に出航予定。風は強まるばかり、15mから25mの強風。とうとう出航の許可が下りない、足止めのようだ。

1月29日午前8時50分まだ風が強いものの出航許可が下り、船は3艘のタグボートに操られ、港内でUターン船首狭い内側の岸壁を無事通過、いよいよ外海に出る港の関門で右舷方向の強風を読み違えて航路ブイに接触エンジン後退、停止で風に流されかけ、離れかけていたタグボートが一斉に船の周り食らいつき、船上で見ていた乗客がざわめき立ち、海面は茶色い泥が巻き上がり、ちょっとばかりスリルを味わった。無事出港、海に出ると風は収まり、どうも港の風はテーブルマウンテンが影響しているらしい。現在大西洋をゆったりとした揺れで北進中、9時ごろ30度上に横に寝た南十字座が、気温20℃と真夏を経験してきた身は寒さを感じる。1月31日午前5時30分ウォルビスベイ(ナミビア)入港、午後1時出港予定。6時40分集合ナミブ砂漠観光11時45分帰港忙しいツアーだ。(K記)

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