モンバサ(1/19 ツァボ国立公園サバンナドライブ 1/20 自由行動)

1月19日、朝デッキに上がると何時の間にか貨物専用の様な倉庫に囲まれた埠頭に着岸していた。アフリカへの第一歩がここケニアのモンバサ島キリンディニ港第一埠頭から始まったが、まだアフリカ大陸に踏み入れたことにはならない。今日は東ツァボ国立公園内で車内より動物の観察、これをゲームドライブという。いきなりサバンナの動物達の写真を出したが、全て偽りなき車から撮影したものだ。8時過ぎツアー隊は6名ずつにバンに乗り込む。ニッサンホーミーを改造して乗員10名ディーゼルワンボックス。10数台の車が先を争って港を出発、百数十キロ離れた東ツァボ国立公園へ向かう。(つづく)

港から幹線道路に入る交差点で車は襲い掛かるように攻め合い、やっとのことで本線に合流。この道は港から荷を満載した馬力を失ったトレーラートラックが内陸に向かって進む道。これらの遅い車を対向車のタイミングを見計らってぎりぎりまで車間をつめ、右にハンドルを切り、対向車がパッシングをしながら迫って来るのだがドライバーは冷静にかぶせるようにパス、次のトレーラーをパスしかかるが後続車がアウトから攻めて来る。それをパスさせ対向車の様子を見ながら追い越す。一車線の追いつ抜かれつの時速80Kmの攻防が1時間ほど続いた。ケニアは英国支配の国だったので車は左通行、日本と同じで追い越しの絶妙なタイミングが手に取るように解り、素晴らしいドライバーだったか、時折乗客からは悲鳴が上がっていた。いくつかの町を通り過ぎていく。町には道路沿いにスタンドや粗末な古屋の店が数件、人々がしゃがんでいたり、すらっと姿勢良く歩いていたり、頭に荷物を載せて歩いていたり、多分いつもながらの朝の光景だろう姿が目に入った。たいていの町には学校があり生徒達が集まっている姿が見えていた。ある地域では大きな袋が道端に積まれ数人が手持ち無沙汰にしゃがんでいる、良く見ると炭を売っているようだ。途中塀に囲まれた土産物屋でトイレストップがあり、水洗トイレで手洗いの水も出る立派なトイレだった。道中の集落は小さなバラックでどう見ても水道も電気も無い貧民窟、観光施設とは異常な格差だ。

なんとか事故も無く東ツボア国立公園に到着、バンの屋根を持ち上げて乗客は立ち上がってサバンナを十分楽しめるように細工されている。この作業中抜け目の無い現地人は、しつっこくサファリの帽子を、人がかぶっている帽子をもぎ取ってまでも、こちらの方が良いと売りに来る、こちらも訳のわからぬ英語を捲くし立て、諦めさせる。相手はエネリギッシュでタフだ。これから続く旅が思いやられるが楽しい一場面だが疲れる。なんだかんだして、ゲートをくぐり公園内に進入、いよいよゲームドライブの始まり。園内はサファリブラウンのあの赤い道が道別れして相当な広さのサバンナをカバーしている様子。今は雨季に当たり平原は草に覆われ、バンはそれぞれ動物の居そうな場所に移動していく。車はあちこちですれ違ったりして獲物を探す、これをゲームドライブと言うのだ。無線でお互いの情報を交換しすれ違う車から情報を得て移動、乾季なら赤い砂煙を巻き上げながら進む車だが幸い雨季、土埃は少なくデジカメには支障なさそうだ。走行中は一生懸命見ていても動物達はなにも見えないが、車が減速するとブッシュの影に動物の物影。皆一斉にカメラを向ける。このようにして撮ったのがこれらの写真です。見渡す限りサバンナが続き、地平線のかなたにぽつぽつと木が生えた平原を動物を求めて2時間ほど走り回り、仕込まれたように野生の動物が現れ、昼食は小高い丘の洒落た以下にも欧州好みのロッジでバイキング。皿にサラダを取って、何々を取って、えっスープを取り、変ねと思いながら、ソースをかけるにもスパゲッティはないし、判りました逆方向に回っていたのだ。とんだ恥さらし。まあ気にしない。ハクナマタタ問題ないさ。(つづく)

ロッジのレストランからサバンナが一望でき双眼鏡を覗くと遠くにキリンと象の群れが確認できた。プールでは欧州人が水浴びをする贅沢なロッジから、またサバンナの動物を追いながら出口に向かって走る。車道を横切る象の家族、車に近づくキリンの家族、雨季は子育ての真っ最中、肌がつやつやとしている。残念ながら草食動物には逢えたがライオンや豹には逢えなかった。しかし自然のままの姿を間近に見られ満足なツアーだった。帰路も時速80Kmの攻防、途中反対車線に延々とトレーラーが止まっている。聞けば警察の荷物検査の渋滞だという。午前より道沿いに人がどこから湧いてきたのかたむろして少し不気味な感じ。工場地帯では仕事帰りの人たちがぞろぞろと手ぶらで出てくる。弁当など持っていない。夕方港に着き、我々の名ドライバーにお礼を言い無事を感謝しながら長時間のドライブでふらつきながら船にたどり着いた。不思議なことにトレーラーや車から黒煙が目立たなく排ガスの臭さが気にならなかった。今日の町の感じでは明日の自由行動での町の見学は危なそうな気がして、どのような行動を取るか考え込んだ。

1月20日、モンバサは1498年にバスコ・ダ・ガマが最初に訪れた所、町の中心地まで3Km程度で本通りを行けば中心地に出ると判り船友と3人で徒歩で港を出発、会う人会う人にジャンボジャンボと挨拶しながら信号のない人と車が入り乱れ、どうやって道を横切って行けば良いのか、おどおどしながら歩き始めた。照りつく太陽に肌は焼けるよう、湿度は低い。少しづつ歩みを進めて行く内に車のかわし方が判り、物売りに取り囲まれてもさほどしつっこくなく振り払い、肩の力が抜けてきた。モンバサのシンボルといわれる象牙のモニュメントを横目で見ながら、フォート・ジーザス博物館を見学。1593年ポルトガルの要塞でその後イギリス保護領時代では1895年から1958年まで刑務所として使われたとのこと、銃眼を通して見るインド洋が美しい。ココナッツのジュースを飲み、途中オールドタウンをかすめ、やっと道の横断タイミングが上手くなり、意外と失敗してもしっかりと止まってくれ埼玉のドライバーより遥かに優良な運転手だ。一人1ドルとうたう三輪タクシーに乗りたくて、3人3ドルで港に帰った。昼食は船内食で済ませ、港の免税店でウイスキーを求め、船の周辺に集まったみやげ物店をひやかしながら、初めてのアフリカを楽しんだ。

船は予定より2時間以上も遅れ、アフリカの貧困について叫びまくった早川さん達が下船最後まで別れを惜しむと長時間岸壁で歌い踊り、陸上も船上もぐったりして船はケープタウンに向け出航、これから1週間の船旅が始まった。


1月25日 久しぶりに曇り空、夕方少し波が高くうねりを感じるが真っ直ぐ歩けないほどの揺れではない。夏を感じた暑さが、逆に寒さを感じ長袖をはおって霧状の波を受けながら北を望むが雲が流れるばかり、晴れていれば南アフリカの陸地が見えそうなくらい近づいているはずだが、明後日にはケープタウンに接岸。何が待ち受けているのだろうか。船内はアフリカ問題真っ盛り。(K記)

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