12/28横浜大桟橋より出航、基隆からマニラへ2010/01/03まで

多くの気にしていただいている皆様へ、なぜか山から海へのはじまり始まり。

12月28日無事横浜大桟橋より午後1時定刻に出航しました。横浜は明け方まで雨が降っていたらしく歩道が濡れていましたが、出航時には青空が見え風もなく、暖かで穏やかな日和になりました。思いかけず、見送りに来ていただきありがとうございました。Kはギターとパソコンを持ち、Nはトランクをひき乗船。

船室は窓のない、ちょっと匂いとゴロゴロいう音やシャーという音が気になりますが、今に慣れるでしょう。5Fですが下階は機関室らしく騒々しい。とっておきの安部屋ですから、あきらめましょう。広いシャワー室に個別トイレと6畳くらいに2ベッド、整理ダンスに3ロッカーに椅子1個に小さい丸テーブル1個、最大3人用の部屋。こうやって書いてみると贅沢な感じですね。古いながらも客船オセアニックですからホテルと変わりありません。まあどんな生活になることやら。今、西日を受けた富士山を右舷に見ながら航行中、緩やかな揺れが感じ取れます。

衛星回線インターネット利用券100分4200円を早速購入してアクセスポイントまでパソコンを抱えて行きましたが、まだ開通していないとのこと、残念。いつ発信できるか不明。

12月29日まだ繋がらないので聞いてみると日本海域を出ないと使用できないとの説明。今日10時amから避難訓練でライフジャケットの着用の仕方、ボート乗船口までの通路の確認等が行われました。天候は曇ってはいますが静かな海、揺ったり微かな揺れで順調です。夜はフォーマルウエアでのディナーとウエルカムパティと気取っていますがまあ経費節減の折、ごく普通かな。楽しくやっています。乗客は400名強らしく半数近い方がリピーターだとか。信じられない。飛鳥より安くて食事が悪いので体に良いので良く乗りますなんて、会う人逢う人、みなさん盛んに旅行をされ、たくましき先輩諸氏がうごめいています。

12月29日午後9時多分九州沖時速30Kmで航行中、視界は海と空、月夜。

12月30日昼12時奄美大島と沖縄との中間あたりを航行緩やかにうねりあり。素直に接続出来ずすったもんだして、やっとネット接続に成功しました。船室の乾燥が30%とひどく、洗濯物は一晩で乾いてしまいますがひ弱なKは喉を痛め咳タン鼻水と典型的な風邪症状、早速船医に診てもらい薬をもらいました。普段ならそのままにしておけばゆっくりと回復するのですが、狭い空間ですので用心しました。明日は台湾キールン基隆に半日寄港し自由行動の予定。7時pmうねりが大きくなり船はゆったりと揺れています。揺れるたびにあちこちできしみ音鳴り騒々しい限りです。

12月31日基隆港に昼12時に接岸、第一回目の上陸。船からの入国の仕方は、どうするのでしょうか。各自常時携帯している乗客の証明書のIDカードで離船の登録をコンピュータに入れ、船の管理下のパスポートが返され、入国カードとパスポートのコピーを持ち上陸して各自入国審査を受け、手荷物のセキュリティチェック、その後船にパスポートを返却、コピーを持って入国。自由行動の後に、何の検査もなくIDカードで帰船の登録をして終わり。初めての経験。出国の簡単さに驚いた。国によっては多少変化があるらしい。

いよいよ台湾に上陸、早速両替(約32元×20ドルで626元)。この金を持って半日の探索。基隆からバスで1時間程の純朴な昔日の庶民の生活ぶりが残っているという九分?に向かうことした。港ターミナルの老案内人が親切にもくどく駅前バス停よりこちらが近いからと教えてくれたもののまったく判らず当初の計画通りに駅前のバス停で、これも中々判らずやっとことで乗車。乗ったとたん運賃(52元×2)の小銭(4元)がなく躊躇していたらバスの行き先を案内してくれた男性が小銭を出してくれ無事乗車。彼は船員で日本語が上手く助かりました。

小雨混じりの天気ながら山の上の九分?は大変な賑わい、斜面に発展した両脇が店の狭い道、急な階段を楽しんだ。帰りのバスは超満員、大勢の生徒達の下校に出くわしたようだ。大晦日でも学校があるのだろうか。2車線だが狭い山道を結構なスピードで降り、基隆の街中も狭いが、これまた結構な速度、単車との争いで凄まじい交通、とうとうバイクと乗用車との事故ったばかりに遭遇、トラフィックには十分気をつけなくては。帰りは43元×2で小銭が無く100元札で、おつりなし。小銭を作ろうと九分?でうかつにもコーヒーブレイクがとんだ散財になり、手元に残るは180元。

夕暮れの基隆の近くの大きな布袋様らしき像がある極楽寺を訪れ、そこから石段を200段程登りさらに先には基隆故事館があるらしいが適度に散歩して高台を下り夜市に向かった。雑貨の屋台や飲食の屋台がひしめき合い、行ったり来たりうろうろして、やっと残りの金で食べられる熱々の具沢山の香菜が効いた春雨のスープと麺のスープを注文、うすっぺらいスプーンで二人で分け合いながら食べ、僅かに残ったコインは地下道にいた乞食に一枚、自動販売機で水と現地のコーラのような黒松水を買い、無事船に到着した。

適当に文章を入れながらネットが繋がり次第Up dateしますので、文章が変になりますがご勘弁のほど。現在1月2日フィリッピンの沖合いを航行中、久しぶりの太陽がぎらぎらと甲板を照りつけ何人か小さいながらプールで水浴びをしています。船室は24℃50%と騒音や匂いに慣れて居場所として落ち着いてきました。明日はマニラ上陸。下の写真は九分?の町の様子。

九フンの町 九フンの坂道石階段

大晦日のカウントダウンの大騒ぎから一夜明け、お正月は新年会で餅をつき、樽酒のふるまいで一息、夜はお酒抜きでおせち料理をいただき、その後乗客のにわか演芸で初笑いで、あっと言う間に一日が過ぎ1月2日の今現在となりました。Kはやっとギターを抱えて上手にマンドリンを弾いていた札幌の人に出逢い伴奏、古き良き懐かしい曲を奏でさらに磨きをかけることにした。老人向けにもってこいだ。

1月3日フィリッピンはマニラ朝8時入港、9時過ぎ前日発行された上陸許可書を携帯しそのまま入国。簡単な手続きで入れるのかと、船会社の代行ルールに感心。港周辺のスペイン時代のサンチャゴ要塞跡からサンオーガスチン教会などを見ながらリサール公園を通り、バラックの合間に建つ近代的なビル街を抜け、凸凹で縁石の高い崩れた道を、車や物貰いを潜り抜け、迷いに迷い必死の思いでN願望のフルーツ市場に何種類かの果物を信じられないような安さで買い、ごろごろと人が蠢くフィリッピンらしい風景を味わった。直射を受けた腕時計の温度計は36.7度、26500歩、3時には帰船。昼食にありつけず、厳しくも楽しい自由行動でした。

晩飯は船内定食むさぼるように食べ、水をがぶがぶ飲み、今日の飢えと渇きを癒しました。午後8時質素な電飾の港町を出航、次のシンガポールに向かって4日の航海で1月7日入港予定。


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